読書備忘録 “いつも傍に本があった。”

盛田隆二『夜の果てまで』感想(本)



2009年読。
リアリズムに圧倒されました。
こんな小説を書けたらなぁ。
【ストーリー】
コンビニでバイトしている大学生の主人公は、いつも夜中に来る女性客の万引き行為を目撃していた。
チョコレートのM&Mをポケットに入れて持ち帰るので「Mさん」と呼んでいたその女性は、年上なのだろうが魅力的だった。
たまたま入ったラーメン屋に「Mさん」がいた。その店の主人の妻だった。
その後、主人公はラーメン屋の息子の家庭教師として雇われ、彼女の家に出入りするようになる。
次第に接近して行く主人公と年上妻……。
 以上、あらすじを書いてしまえば陳腐なご都合主義に思える。
大学生の主人公と“不倫相手”の年上女性にはあまり共感するところはない。
恋愛と言うよりは欲望。道義的にも納得はいかない。

 ストーリーしか見えない人はこの時点で「陳腐過ぎる」「くだらない」と切り捨ててバカにしてしまうでしょう。
甘い恋愛小説を期待して手に取った人は裏切られた想いで本を床に叩きつけるかもしれない。
でも、現実の恋愛は往々にしてこんなもの。
欲で惹かれ合って欲に堕ちていく。そして這い上がれない落とし穴の底に突き落とされる。
たかが、欲。されどその欲が人生を激変させる。
くだらない一時の熱のために、確かにあったはずの未来が幻と消える。
この冷徹なリアリズムが痛い。
現実がいかに陳腐で滑稽か、醜悪かということを淡々と記録するかのように描き出している。
さらに絶大な効果を発揮しているのは仔細に描写されている背景だ。
小説に設定された当時そのままの街並み、音楽、会話が描きこまれている。
 特に会話のリアリティには驚愕させられた。当時の中学生の喋る内容まで正しく再現されている。
このように固有名詞を大量に書き並べ、会話まで忠実に再現することは小説としてあまり良くない技法と言われる。
 フィクションであるはずの世界が現実に絡め取られてがんじがらめとなり、読者に空想する隙を与えなくなってしまうからだ。
けれどこの小説の場合、仔細に現実の背景を描き出したことが逆に読者自身の記憶を呼び覚まし、空気の匂いまで立ち昇らせる効果を出している。
こうすることで主人公の気持ちさえも景色に投影させ、表現しているわけだ。
 (気持ちはあえて描写しない。代わりに景色を細かく描いて読者の心に呼び起される感情で表現する)
宮崎駿のアニメーションで背景が緻密に描かれていることを思い出させる。
現実の景色を緻密に描くことによって、空想世界の広がりではなく観ている者自身の記憶世界へ誘う。
すると世界の匂いや風まで感じられる、あの効果。
小説で空気感まで立ち昇らせるというのは凄まじく細かい仕事をしているということ。
地図はビル名など細部まで読み込み、実際にその年代の人々が話している声を録取し、文化風俗(ゲームやアニメ、音楽等々)を記録する。再現するにも神経を遣う。
単純にそのことだけでも凄い作家と思った。職人技だ。
 この技術を受け取るには、読者のほうにも少々経験値というスキルが要るだろう。
まずこの小説の描写から記憶を再現する経験が必須と思う。
つまり決して子供向きではない。
自身の“記憶”を読むことが出来る大人向きの小説、と言える。

ちなみに私がこの小説で最も共鳴、と言うか凄みを感じたところは主人公が就職を棒に振って「どうしようもない」生活へ堕ちて行く過程で、ぼんやり空を眺めている場面。
景色に投影して主人公の(彼自身でも気付いていない)心裡が描かれていた。主人公と同じ状況に置かれたようで、ある意味、ホラーより恐ろしい背筋が寒くなる場面だった。人が瞬間的に殺されるのではなく、ぬるま湯に浸かって死んで行くのだ。
似たような気持ちを経験したことのある人間として、よくあんな恐ろしい場面を描けたものだと尊敬した。

//アマゾンのレビューを読んでいると、極端に評価が分かれる。
女性は生理的嫌悪を覚えるようで。(それはそうか)
ともかくストーリーだけ読めばこんな設定はくだらないのは当然、だが現実全てくだらないのだし、こんなリアルな小説があって良い。
現実にはあり得ないシチュエーションの夢小説だけが世に溢れるほうが恐ろしい。


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