読書備忘録 “いつも傍に本があった。”

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村上春樹の小説と、村上春樹論

 中学の頃から「この人の薦めてくれる本にハズレはない」と思い、尊敬している読書好きの友人が
「私、村上春樹だけは何が良いのか理解出来ないんだけど。ぜんぜん意味分かんない」
と言っていた。
ああ、やっぱりこの人は真実本好きの正直者だと知って嬉しかった。

“裸の王様”が裸だと指差して言える人は稀有だ。

村上春樹を「裸の王様」と言っているわけではないですよ。
ただ誰でも好き嫌いはあるはずなのに、春樹だけはどうして日本中の誰もが手放しで「面白い」「大好き」と絶賛するのか。少し不思議に思いまして。
それって本心なんですか?
あなたは、ほんとうに心から村上春樹を「面白い」と思っていますか。

*

『海辺のカフカ』は自殺小説ではないかと思っていた。
「自分の小説は空っぽ!」
とカミングアウトして筆を絶つ作家の。
けれどそうはならなかった。

中身を公表しない小説が、204万部(2009年)という大ベストセラーを達成した世間の狂乱を見て、村上春樹の真の狙いを知った。
この人は小説と心中するつもりでいる。

作家の名だけで「小説」という箱が売れるとはどういうことか。
もう、誰も小説を読んでいないということだ。
小説は要らないということだ。
小説そのものが滅んでいるということだ。

この現実を行動で示して見せたことで、村上春樹は小説を処刑した。

それは当然、自身の作家としての自殺行為でもある。

作家として創作家として、「名前だけで売れる・中身なんか本当には誰も見ていない」という扱いは最高に屈辱的。並みの作家なら生きてなどいられない。
この屈辱的な自らの状況を逆手に取り、屈辱を“小説そのもの”になすりつけることで小説を処刑しようとしている。
“空っぽ”な小説に釣られた“空っぽ”たちが、続々と彼の後をついて行く。
そして他のあまたの小説たちを巻き添えにして、海の底に沈んで行こうとしている……、
ハーメルンの笛吹きかね。
風の歌を聴け、
「ほうらね。小説なんて、どうでもいいでしょ。空っぽに人は食いつくんだよ。しょせんみんな、頭の中は空っぽだもんね。だから死ね、死ね死ね小説」

※以上、私の個人的な空想
*
小森陽一氏は『村上春樹論』で、『海辺のカフカ』を処刑小説だと言っている。

村上春樹論 『海辺のカフカ』を精読する (平凡社新書)



小森氏は東大教授、漱石などの論文を書いている文学研究者。
長年にわたり「小説」と向き合うことで培われた信念から、村上春樹の小説を
「人類への裏切り」 と断言する。

村上春樹は小説を書きながら小説を否定し、「言葉」そのものを全否定している。
つまり、処刑しようとしている。
これが
「言葉を獲得して以来、人類が模索し続けた」
自らの傷を語り、自らの頭で考えようとする人類の努力を無きものにしようとする裏切りであり、犯罪的行為でもあると言う。
引用、
 しかし、「カラス」と呼ばれる少年」の批判は、なぜ近代国民国家によって遂行される組織的暴力と「姉なるものを犯」すことが無媒介的に結合されてしまうかについての批判はなされておらず、むしろ「戦いというのは一種の完全生物」という言い方によって、<いたしかたのないこと>であるという印象を強化する役割を担っているのです。
私は繰り返し「無媒介的結合」を批判してきました。なぜでしょうか。それは論理的かつ合理的な原因と結果をめぐる思考を停止させる働きがあるからです。つまり『海辺のカフカ』という小説は、小説テクストを読み進める読者を思考停止させる機能を持っており、因果論的思考そのものを処刑する企てなのです。そして、原因と結果の関係を考える人間の思考能力が、言葉を操る生きものである人間の根幹にかかわるからこそ批判しているのです。
P160-161
「平安女流文学」における「生き霊」の物語機能は、なによりも、その女性の抑圧された「精神」を言語化してつきつけるところにあります…(略)… 夢幻能における死霊の言葉もやはり生きているときに口にすることのできなかった、あるいは不条理な死を強いられたことに対する恨みと告発の言葉を運んできます。
けれども『海辺のカフカ』における佐伯さんの「生き霊」は、一切言葉を発しません。カフカ少年が「佐伯さん」と三度呼びかけても答えることはありません。そして言葉を交わすことをしないで、…(略、何だか分からないまま恋に堕ちる)…
このカフカ少年の「恋」の在り方そのものが佐伯さんという「女を風景の一部に還元」していくプロセスなのです。
P142-143
 私たち生き延びた者たちには、この呼びかけと問いかけへの応答責任があります。精神的外傷を<解離>によってなかったことにする記憶の消去は、死者に対する応答責任の放棄でしかありません。言葉を操る生きものとしての人間は、神話、伝承、昔話、物語、そして小説によって、死者との応答をしてきたのです。『海辺のカフカ』は、その歴史全体に対する裏切りなのです。
逆に、言葉を操る生きものとして、他者への共感を創り出していきたいと思うのなら、私たちは怯えることなく、精神的外傷と繰り返し向かい合いながら、死者たちとの対話を持続していくべきでしょう。死者と十分に対話してきた者であれば、生きている他者と向かい合って交わすことのできる、豊かな言葉を持ちうるはずです。豊かな言葉は、死者と対話しつづけてきた記憶の総体から産まれ出てくるのです。漢字文化圏における「文学」という二字熟語は、漢字で書かれた死者たちの言葉すべてについての学問のことです。二一世紀こそ、「文学」の時代として開いていくべきなのだと思います。
P276-7
「文学」に対する情熱を感じる点で素晴らしい文なので、長くなってしまったが引用させていただきました。
 最後の引用箇所など涙が出て来る。
「他者への共感を創り出していきたいと思うのなら、私たちは怯えることなく、精神的外傷と繰り返し向かい合いながら、死者たちとの対話を持続していくべきでしょう」
その通りだと思う。
 地上の片隅の片隅で、この先生の願いを受け継ぐ小さな一人でありたい。
ただ“村上春樹の罪”の指摘に関しては、極端だなという印象を否めなかった。
何故に極端かというと、村上春樹自身はここまでの罪を自分が犯していることを自覚していないだろうからだ。
つまり、村上春樹は確信犯ではない。(小森先生が訴追する罪において)

小森氏の指摘は、「村上春樹の小説が及ぼす影響」として非常に的確であり正しいと思う。 私も同意・共感する。
村上春樹の小説を読みモヤモヤしていた腹立たしさを、よくここまで明解に示してくださったと感謝している。批判しようとしてもここまでの頭脳がないことが悔しい。

が、小森氏の指摘はあくまでも結果を見てのものと言える。
結果としてとんでもない化学反応を起こさせた物質の責任が、その物質を生み出した者にあるかと言えば疑問だ。
その者は結果を予想していなかっただろうからだ。

村上春樹が「確信犯」であるのは、ハーメルンの笛吹きを気取った時点までのことだろうと思う。
村上氏の狙いはただひたすら、「小説(文学)の死」であり、「表現として言葉を選ぶことの否定」だけだったのではないか。

たとえばレイモンド・チャンドラーの『ロング・グッドバイ』を村上氏は繰り返し読み、「小説はこうであるべきだ」と思ったという。
「こうであるべきだ」と彼が言うのは、チャンドラーのやった情景描写の少ない簡素な表現だったり、感情を抑えた乾いた表現だったりのこと。
これを模倣したかった。
 模倣することで、ウェットで華美な日本文学(たとえば太宰や三島)を否定して滅ぼしたかったのでは?
 ……しかしこの前提に大きな誤解があって、村上氏はチャンドラーの小説を本当に「表現を逸らす小説」・「感情のない乾いた世界」と受け取ったのだろうが、実際のチャンドラーは猛然たる激しい感情のもとに小説を書いていたはずである。激し過ぎるからこそ逆に抑制をきかせるしかなかったという、熱いマグマが小説の向こうに垣間見える。“空っぽ”どころか、“中身が詰まり過ぎて溢れ出てしまっている”小説。それはもう露骨なほどに。むしろチャンドラーはウェットな人だと思う、ウェット過剰過ぎて「ウザイ」と中学生に言われそうなフィッツジェラルドに匹敵するくらい。
誤解があった証拠に、村上氏は
「チャンドラーの小説にフィッツジェラルドへの敬慕があったことに長年気付かなかった」
と仰っていた。
どちらの作家も村上氏が青少年時代に深く傾倒していたはずで、何度も読んでいたはずなのだから、この発言には心底驚いてしまった。チャンドラーの小説を一読すれば、もうその始めの時点で、フィッツジェラルドへの愛が(うっとおしいほど)匂い立っていることに気付くだろうに。

言わばその小説に対する不感症なところが、村上氏の小説信念を形成し、「表現を逸らす」等の独特の小説スタイルを作り上げていったのでは、と私は勝手に推測している。
たとえば諏訪哲史『アサッテの人』などは村上春樹になぞらえて読むとはまる。


 “アサッテ”、つまり逸らした表現だけに囚われてしまった人の姿を描いた小説。
まさに村上春樹はこの「アサッテの人」だと思った。やりたいことはわかるのだが、滑稽で、妙に哀切がある。

ではこのアサッテの人、村上春樹はどういう流れから産まれたのだろう。

かつて文学は
「面白くあってはならないもの」だった。
ストーリーがあってはならない、落ち(伏線解消)すらあってはならない。

 そんなストーリーなし・落ちなしの文学に挑む姿勢を見せたのが、太宰治や三島由紀夫だったと思う。 
彼らのウェットで華美な表現は、読者に対する「分かりやすさ」を追求したもの。言ってみれば“俗っぽい”、お涙ちょうだいの大衆文芸スレスレのところで表現し、なおかつ文学に踏みとどまったのは「文学」に対する戦いを試みたからだ。
小説とは「落ちなし」の「読者にとって不可解な」ものだけが崇められるべきではない。
 逆に「ストーリーだけで自分なし」の小説であってもならない。
その中間に誇り高く居座る小説があっていいではないか、と。

今、太宰や三島の系譜はアニメ・コミックの世界で花開いている、と思う。
 分かりやすさと面白さを追求しつつ、自らの想いも篭める……という現代漫画を書いている人たちは、「文学」に挑んだ作家たちの正統な後継者と言える。
しかし、小説の世界では事情が違った。
太宰や三島の死後、彼らの小説は「華美な表現に走った」下等な俗物、とただ蔑む傾向が強まった。
 そして表現の部分だけ見据えて、彼らの華美を否定するためだけに「表現そのものの否定」・「言葉の否定」が行われた。
その流れが産んだ作家がまさに村上春樹、ではないかと私は考えるのだが。

 〔ついでに。文学とは逆方向の、極端なストーリー主義に陥ったエンターテイメント信奉者もいて、この宗教の信者たちは自らの想いや情熱を創作に篭めることを徹底的に禁じた。で、無味乾燥なあらすじだけの、ケータイ小説みたいなエンターテイメントが大量生産されていく結果に。……どっちにしろ極端なことで。どうして漫画やアニメみたいに“どっちもアリじゃん”てなれないんだ?〕



村上春樹の思惑は実現し、文学は死んだ。

 「空っぽ」の小説だけがベストセラー、というこの現実は出版界の死そのもの。
これでもう出版は滅ぶだろう。ポピュラーな文化としては。

代わりに本はもっとマニアックな文化になっていくのではないかと期待する。
 たとえば爬虫類マニアや廃墟マニアみたいに、限定された物好きだけが手に取るみたいな。
それが本来の趣味だと思うんですがね。

真性の本好きなんか物好きの変態だ。本コレクションは一部のマニアの悪趣味であるはずだ。
 それなのにこんなに、どいつもこいつも「本を読め・本を読め」と読書を礼賛している状態が異常では。 
ただ「頭よさげに見られたくて」本を読むなんて人が存在すること自体、終わっていたんですこのジャンル。
 ともかく小説なんかに興味ないのに、村上春樹だけは流行に乗って買うという「空っぽ」な人たちは、ぜひハーメルンの笛に連れられてどこかへ消えて欲しい。(←こういう人たちは本当の村上春樹ファンにも迷惑だっただろう。もしかしたら村上氏自身も迷惑がっていて、今回のパフォーマンスでこの人たちを世間に露見したかっただけかもしれない)
“終りは始まり”。
 今までの小説が滅んだ後こそ真の本好きの時代。になるといいんですが。
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ヘッセという硬派な作家

 ヘッセと言えば、『車輪の下』。
学校の課題図書で『車輪の下』を無理やり読まされ、「競争主義の教育は良くないと思いましたぁ」などという教科書のコピーのような読書感想文を書いて表彰された人もいるだろう。

またヘッセは美辞麗句で取り繕ったお上品なだけの詩人、との認識もよく耳にする。
「ヘッセが好き」
と告白すると
「あなたは美しいものが好きなんですね。お上品な方なんですね」
となんとなく引き気味でお世辞を言われることがかなりの高確率である。

繊細で、上品で、美しさだけを追求したナルシストな作家というイメージ。
思想は学校の教師のように単純で説教臭く、ただ「子供たちに競争教育を押し付けてはいけません。みんなで仲良く勉強しましょう」という平和な主張のみ。(平等教育論者と誤解されることさえある)
そんな作家の小説を好んで読む人間も同じ烙印を押されることは、日本では避けられない。

しかしヘルマン・ヘッセという作家に対するこのような認識、ある意味で差別的な意識を持つのは日本人だけらしい。
海外においては『車輪の下』はあまり有名な作品とは言えず、それよりも『デミアン』や『荒野のおおかみ』など日本ではあまり知られていない作品が絶大な支持を受けているという。

では何故、日本人にとっては聞いたこともないような小説が世界中で多くのファンを獲得しているのか。
それはこれらの作品が彼自身の戦いの軌跡であり、易きに流れる社会への宣戦布告であり、一人きりの戦いを強いられている全ての孤独者にとっての支え手であるからだ。

*
たとえば、『デミアン』という作品がある。
第一次世界大戦後、壮絶な精神の苦悩を経て書かれたこの小説は始め偽名で出版されたという。
戦争に突き進んだ祖国へ対する批判が含まれていたためだ。

祖国から疎外され、孤独となりながらも我が道を行く。自己の信じるものへ突き進む。
「自己として生きるためには一度死に、新しく生まれ直す覚悟が必要」。
「自分らしく生きられないなら(詩人として生きられないなら)、死を選ぶ」。
抑え付ける者に徹底して抗い、自己を追求するため戦い続ける彼の姿勢は十代の頃から変わらなかった。
たとえ圧力が襲ってきて精神が破壊する寸前まで叩きのめされても、戦い抜いて自己を貫いた。
さらに第二次大戦に至っては当時祖国で絶大な支持を受けていたヒトラーに対し批判の声を上げ、戦争に反対し続けた。(参照:『ヘッセからの手紙』)

この多分に反骨的な性質が日本で知られざるヘルマン・ヘッセという人物かつ作品だ。
根が無頼、硬派である。
よく読めば初期の作品にも硬派な精神は表れているし、『車輪の下』にも十代の頃の過激過ぎる反骨性が投影されているのだが、順序としてそちらを先に読むと分かりづらいかもしれない。
“作風が変わった”とされる『デミアン』以降の少しダークな作品を読めば、よほどのバカでない限り彼の目的が「美しさ」のみを追い求めることではなかったと気付くはずだ。

*
コリン・ウィルソンによって≪アウトサイダー≫の名を与えられたヘッセは、本質において社会に馴染まない人間と言える。

詩情あふれる描写からも垣間見えるように、繊細で過敏過ぎる本質を持つことは否めない。
繊細で過敏だったために社会から外れ壮絶な精神の戦いへ放り込まれた。(みずから突き進んだ)
そして戦いを経、強靭な精神を獲得した。

もし彼の作品が美しく見えるのなら、それは戦いを超えた地点の静けさ故だろう。
苦悩で磨き上げられたヘッセの言葉は熱く強い。
ストーリー性のみ求める人はこのような文学をはなからバカにするだろうし、現代の小説技巧の観点から見て確かにほころびが多いと言えるかもしれない。
だが技巧だけの張りぼて小説とは比べものにならない現実の救済力を持つ。
何故なら、ヘッセ自身が言うことと行いを伴にしていた「生きた作品」だからだ。
世界中の若者たちを救済してきたヘッセの言葉は今でも同等の力を持つと信じられる。

たった今、社会から疎外され孤独にあえいでいる若い人がいたら、ぜひ『車輪の下』を置いて他の硬派な作品に触れて欲しい。
その後にまた『車輪の下』へ戻れば、美しく繊細なだけに見えた作品からも生きる糧となる強いメッセージを受け取ることが出来るはず。


個人的な話。

私がヘルマン・ヘッセに痺れたのは『デミアン』が最初でした。

それまでは子供時代に学校の課題図書で読まされた『車輪の下』しか知らず、他の多くの人々と同じようなイメージを抱きあまり興味を持つことは出来なかったものです。
『デミアン』を読み衝撃に打たれ、一行一行を涙なくしては読めなかった時、心から“しまった”と思いました。
この導き手を知らずに長い孤独な時を過ごしてしまったこと。
浅薄で偏った文学教育を鵜呑みにし、彼を誤解してしまったこと等をつくづく悔いました。

ヘッセが日本において『車輪の下』の作家というイメージしか持たれずに誤解されていることは、長年ヘッセファンたちが嘆いているところです。
文学そのものに対する誤解、差別意識が日本では根強いことも相まってますますヘッセは敬遠される傾向にあるようです。
“知る人ぞ知る”でも良いから一人でも多くの人がヘッセからの手紙を受け取って欲しいと願い、このページを書きました。
個々の作品の紹介はまた整理して追々載せていきますので、良かったら読んでみてください。

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『三島由紀夫とは何者だったのか』感想

 三島由紀夫の小説も一時期よく読んだが、一度たりとも「好き」と思えたことがなかった。

文章は嫌いではない。華美な表現も面白みがあり私には楽しめる。
ストーリー展開も現代のコミックの原型と言えるので、ある意味で“馴染み深い”もの。
 退屈なストーリーで溢れる小説世界にこの人は救世主として表れたのだろう。

けど、な。
三島の小説を読むと必ずと言って良いほど落ち込むんだよな。
 今度こそ大丈夫と覚悟して読むも、読後は鬱を覚えるのを避けられない。

それはたぶん小説から一切何も学ぶべきところがなく虚しいからだ。
作者の人柄そのまま、人としての深みがなく成長がなく無意味である。
 激烈に文章の巧い中学生の書いた小説を読むような気分なんだな。
美しく形作られた砂糖菓子のようなもの。
眺めるなら綺麗でも、口に入れれば甘いだけで他の味がしない。だからこんなの食べてどうしたかったんだろうと食べた後に落ち込むのだ。

 ただ三島小説が現代作家の「空っぽの箱」と違うのは、この砂糖菓子たる形が作者自身の人生であるところだ。
「空っぽの箱」
を作ろうと狙って、気取った技巧のみにこだわっている。読者を簡単に騙すことが出来るそのような技巧に長けてしまった、腐った大人作家たちとは大いに異なる。
 三島はこれしか出来なかった。
自分に出来る最大限を素直に表現したら結果こうなっただけのこと。

中学生のように正直過ぎる人なのだと思う。
 そのままを小説に写し取っただけに過ぎないのだから、小説家としては誠実だったのだと言える。

三島の小説を読んで妙に落ち込むのと、現代の「空っぽ」小説を読んで時間を無駄にしたと怒りを覚えるのとでは比較にならないほど前者のほうが気分が良い。
 未熟だが正直な中学生の話のほうが、嘘つきな大人の話よりも遥かにマシと思う。

そんな三島由紀夫という人はやはりどうしても気になってしまう存在だ。
以下はタイトルが同感で手に取った評伝。



内容(「BOOK」データベースより) “同性愛”を書いた作家ではなく、“同性愛”を書かなかった作家。恋ではなく、「恋の不可能」にしか欲望を機能させることが出来ない人―。諸作品の驚嘆すべき精緻な読み込みから浮かび上がる、天才作家への新しい視点。「私の中で、三島由紀夫はとうの昔に終わっている」と語って憚らない著者が、「それなのになぜ、私は三島が気になるのか?」と自問を重ね綴る。小林秀雄賞受賞作。

凄い言葉だ。「欲望媒介物」、フェティッシュ。
橋本治は、これにただ 「物」 という字をあてた。
<引用>
…だから、妄想の外に出てしまった人間は、一時的に戸惑うのである。妄想と共にあることに慣れてしまった欲望は、妄想という動機付けがないと、欲望として機能しない。だから、一時的な機能停止に陥って、その欲望を現実の基準に合わせた形で再構成する。「相手かまわずやり放題だった人間が、本当に好きな相手と巡り会って、やり放題が不可能になる」というのが、卑近な一列である。  …ところがこの「私」は違うのだ。「欲望は妄想と共にあり、妄想がなければ欲望は成り立たない」ということを知って、現実の上に妄想を覆いかぶせようとするのである。  …「私」にとっての近江は、「肉体だけを持つ生きた物語」になった。近江に「人格」はいらない。「知性において自分は近江より遥かに上だ」と規定してしまった「私」は、近江を「好みの物語を連想させる、肉体だけの人間」として見る。近江は、「私」の欲望を成り立たせる「物(フェティッシュ)」にされたのである。より現代的な表現を使うなら、「妄想の中にいた“私”は、妄想から抜け出し、ストーカーになった」である。 【『三島由紀夫はなにものだったのか』橋本治著 165-167】
 引用文ラストの太字、
「妄想の中にいた“私”は、妄想から抜け出し、ストーカーになった」
には納得。

そういうこと。
ストーカーなのだ。現実の恋愛に不能な、三島的なる彼らは。

彼らは自分の妄想を現実に合わせることが出来ない。たとえば好きになった現実の人間から、“イメージと違う”部分を見せ付けられると自分のイメージを修正するのではなく、違う部分を無視する。
“なかったこと”、つまり、現実を殺してしまう。

 行き過ぎると、実際に相手を自分の妄想に合わせて作り変えようとする。
たとえば脅迫して言うなりにしたり、縛ったり、監禁したり。
それでも駄目なら殺す。
イメージに合わないのなら、消えてもらうしかないからだ。

それは相手が単なる
「物 : 欲望媒介物」
でしかないため。

これがストーカー。
 ストーカー行為をしたからストーカーなのではなく、現実の相手を欲望媒介物にしてしまう心理を持った時点でストーカーだとするなら。三島由紀夫は、正真正銘ストーカーだった。
昭和初期に比べると、変態を表すうまい言葉がものすごく増えたのだろうなと思う。
たとえば三島を、
「ショタ萌え」 (byアマゾンレビュアー)
と言ってしまえるとか。
ということはそれだけ、恋愛不能の人口が増えたということだな……。

現代なら三島由紀夫は特殊ではなく、むしろ、“その他大勢”。
 よくいる変態萌えオタクだから、現代に生きていれば確かにラクだったかもしれない。特別視されて絶賛されることはなかっただろうけど、多くのオタクさんがそうであるように、同じ趣味の仲間を見つけて大人しく妄想の世界で生きていけたのかも。
自殺なんかする必要、なかったかもな。

それにしても橋本治先生は現代変態用語への変換がうまいです。
この本は最初うんざりして投げ出していたけど、再チャレンジしたら途中から面白くなってきた。
もうレビューは諦めた(語りつくせないので)ものの、抜書きしておきたい文章がたくさんある。

最も面白かったアマゾンレビュー
「電波男」に感銘を受けた人に勧めたい。, 2005/11/06 レビュアー: "インド一反木綿"
女性不信なのに女なんて要らない、と言えなかった男の子たちの背中を押したのが「電波男」なら、この本は「自意識と深く絡み合った性癖のせいで恋愛ができなかった男の子が、自分を肯定しようと四苦八苦したあげくに滅びていった」ことを「作家橋本治」の目線で述べている。この解釈が正しいのかどうかは知らない。三島自身が生きていれば当たっていようが間違っていようがきっと「違う」と言い切るであろう。が、この本を読んだあとには三島が40年遅く生まれていれば、「隠れショタ萌えのオタ官僚」として、死なずにすんだような気がしてしまう。その代わりに文豪にも時代の寵児にもなることはなかっただろうが。


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『桜桃とキリスト――もう一つの太宰治伝』感想

 この人こそ読んでいると誤解される作家の代表ではないだろうか。太宰治。
太宰治ファンで有名な芸人、又吉がブログにて
「太宰治が好きだと言うと“ああ。昔読んだわ”と言われ、やったった感を出される」
と書いていたので笑った。確かにそういう自称読書家は多いな。

彼が言うようにそのような人間は偉い評論家の言葉をコピーしているだけだ。
「太宰ごときは十代の頃に読むべきもの」とか
「自意識過剰な太宰文学を大人が読むのは恥ずかしい」
 などと他人の言葉を何も考えず鵜呑みにし、オウムのようにそのまま口から再生してしまう人間のほうが遥かに恥ずかしい。
自分の意見として「好きになれない」と言うのならまだしも。

と、……そう言う私は、実はあまり太宰文学が好きなほうではなかった。
 ただ単に深くヒットする作品に出会わなかった、私の人生には影響がなかったというだけのことで、悪い作家と思ったことは一度もないが。
言っておくが現代の商魂丸出しの張りぼて小説より、遥か遥かに好きだ。
 大量生産されたくだらない現代小説を読む時間があれば太宰治を再読したほうが有意義な時間を過ごせると思う。
 さて評論家として、「十代の通過点」どころか年配になっても太宰治を読み続けている人がいる。
ここに紹介する本はその「生涯・太宰ファン」による、熱きラブコール。


 とにかく太宰が好きで、長年太宰を何度も再読し続けているという強者です。
 調査が細かく徹底していて、さらに客観的な目もある。
 たとえば『女学生』などの小説はほとんどパクリで書かれたことなど、現代だったら大問題となるだろう事実まで容赦なく載せている。
他のエピソードも驚きの連続だった。

特に驚嘆したのは太宰の小説の書き方。
彼はいざ原稿に向かうと一文字も修正することなく最後まで淀みなく書き上げてしまったという。
また口述で原稿を書くことも多く、まるで既に存在する原稿を読み上げるように滑らかに述べた。
つまり頭の中で一字一句に至るまで完璧に仕上げてから、原稿なり声なりでアウトプットしたのだ。

 人間業ではない。
(つい推敲を繰り返してしまう私から見たら神様です)

 私は「この世に天才などいない」と思っていたのだが、これは、いるんだなと初めて信じた。
 間違いなく太宰治は天才だったようだ。
その才能は青森の潮来に由来するのではないか、と長部氏は見ている。
 『女学生』などはほぼ女子学生が書いた文を写したようなのだが、ところどころ太宰なりの言い回しに変えられているそうでそれ故に名作となっている。
 要するに、潮来として他人の心を乗り移らせて語る超人的な才能があったのかもしれない。
と言うことは自分について語る時もいったん魂を遠ざけ、他人の魂のように乗り移らせて語ったのだとも想像出来る。
それ故、ぞんざいで表現が粗いようにも思えるのだが、全体で眺めてみれば見事な歌として成立している。

 そもそも太宰の小説は音楽だと長部氏は語っていて、私も同感だった。
太宰の小説は決して飛ばし読みをしてはいけない。
 文章を頭の中で音として再生しながら読むと最高のリズム、完璧な歌を味わうことが出来る。

正直言って太宰先生がここまでの天才だとは気付かず、今まで読み返してみることもなかったことを反省した。
 それでこの本を読んだ直後、むしょうに読み返してみたくなり太宰本を買いあさったのだった。
 (ちょうど太宰生誕百周年の年だったので書店の目立つところに並んでいた。いつも隅に追いやられているのだが)

こんなふうに感化されて見方を変える読者もいるのだから、やはりファンなら声を上げたほうがいいなと思った。
 馬鹿にされても好きな作家について語っていくことは大切です。
*** 以下はこの本について以前に書いた感想。太宰の人格に対する個人的な印象が中心、まとまりないメモです ***

『桜桃とキリスト―もう一つの太宰治伝』
太宰の二度目の結婚から、心中死に至るまでを書いた評伝。大佛次郎賞、受賞作品。

 濃厚な内容だった。
 「人生を通してずっと太宰治を読んで来た」という著者の語り口は熱い。そして資料をつぶさに調べて引用を多く用いてくれているので人物像が生き生きと浮かび上がって来る。
まるで生きた津島修治という人物が目の前にいるかのような、彼を囲む宴会の片隅にでも座らせてもらっているような気分だった。

この本を読んで太宰治という作家のイメージを払拭せざるを得なかった。
 女々しい作家であり、奥さんを大事に出来なかった最低なアル中ヤク中野郎で、最終的には安易な死に逃げた……という事実の認識は変わらない。だがそこに至るまでの道のりを知ったことで、デカダンスな文豪というイメージに過ぎなかった太宰治が人間・津島修治として見えて来た。
なんだ、彼も普通の人だったのだ。
ごくありふれた日常に潜む落とし穴にはまり抜け出せなくなっただけの男だ。
“仕方がない”、とは言わない。が、分かる。
自分もいつそこにはまるかもしれない。
 はまったら抜け出すのは容易ではないだろう。
 健康に生きている今の自分はたまたまの幸運に過ぎず、もしかしたらあの時あの道を行けば、太宰と似たり寄ったりの人生だったかもしれないと思う。(彼ほどの自堕落が出来るほどの体力はないが)
 思うから、むやみに軽蔑したり「自分はあいつとは違う」と誇ったりすることはもう、出来ない。
まず最も驚いたことは、太宰はどこまでも男であったということだ。

 というのも、女々しいというイメージが一般的で私もそう思っていたのだが、女性的なのは外見だけで彼は性根から男だった。あの女々しさは、男としてのありきたりな女々しさだ。実は女性のほうがこういう女々しい部分など持っていない。
 男なのだから、妻子を本心では愛していたはずだ。
でも大切に出来ない。その力がない。
「自分にはこれでいっぱい(精一杯)なのです」
 と言った彼の言葉はやったことを見れば嘘に聞こえてしまうが、きっと本気の本心だろう。
夜中に妻子への愛情で苦しみのた打ち回っていた津島修治の姿がありありと見える。
 
彼が自殺に至った要因は様々に取り沙汰されていて、「無理心中だ(愛人が殺したのだ)」という噂まで飛び交っていたことに驚いた。
 著者の長部氏は
「無理心中ということはないだろう」
と言っていて、私もそうだと思う。死を選んだのは太宰自身の意思なんだろう。

結核。多額の税金。愛人問題。
 それらの苦悩が胸に降り積った結果という著者の想像がたぶん正しい。
ただ最終的にはやはり、山崎富栄が実力行使したに近いな、と私は個人的に感じる。
 俗な言い方だけど、別れ話のもつれでは。
 それまでの不健康な生活から少し抜け出して、結核も快復に向かっていた。そして新しい作品も書き始めていた。その矢先に死んでしまったのは、身近な愛人の強制があってのことだと思う。
死のしばらく前から山崎富栄は太宰を軟禁して誰にも会わせなかったらしい。
 軟禁状態で太宰が受けた精神攻撃の地獄は想像に難くない。
「自分の物にならないなら死んでくれ」
 そう言われた時、人の心はポキンと折れる。
あ、もういいよ。
 分かったよ。死んでやるよ。喜んでくれるなら。
そう思う。
疲れてしまう、のだろう。
ましてそれまでに様々に傷付き心労を抱えて疲れきった人間なら、なおさら。

太宰の場合、その「心労」のほとんどが客観的にどう見ても彼自身が悪いとしか思えないのだが。
 それにしても、師であった井伏鱒二が口にしたとされる“悪口”を聞いた時の心の傷は深いものだったはずだ。
 太宰の言葉を再引用。
P346:
「ここだけの話だがね、この正月にね、亀井や山岸たちと井伏さんのところに、挨拶に行ったんだ。例のごとく、おれはしたたかに酔っ払っちゃってね、眠くなったものだから、隣室に引退って、横になって寝ちまったんだ。どのぐらい寝てたんだか、それは分からんがね、とにかくふと眼をさますと、襖越しに笑い声が聞こえるんだ。みんなで、寄ってたかっておれの悪口をいい合っては、笑っているんだ。おれがピエロだというんだ。いい気になっているけれど、ピエロに過ぎんというんだよ。このとき、おれはね、地獄に叩きこまれたと思ったね。髪の逆立つ思いとは、あれのことだね。思い出しただけで、総身が慄えてくるんだよ」

大人の嫉妬はみっともない。
 実生活ではあまり褒められる人間ではない太宰だが、単なる嫉妬という理由だけで人を叩くのは筋が通らない。
 当時、太宰は『斜陽』が大ヒットして一躍スター作家となっていた。だから周囲の嫉妬は凄まじかったろう。上のエピソードはその中でも最も身近な人たちからの嫉妬を受けた場面。
 
 長部氏は、太宰の師である井伏鱒二はたぶんその場にいただけで悪口は言っていないはず、と言う。
 きっとそうなのだろうと思う。太宰は被害妄想の気があるから、過剰に受け取ってしまっただけなのだ。
長部氏が書いている通り、井伏はどんなに太宰が酷いことをしても見捨てずに献身的に尽くした。他人から見れば何もそこまでしてやることはないのに、怒っていいはずなのにと呆れる。驚くほど誠実で優しい人だ。
最後の手紙を見ても、決して太宰のことを悪くは思っていなかった様子。
 こんな人を“悪人”と呼んだらバチが当たる。
だが井伏が太宰の悪口を言っていなくてもその場にいて、否定さえしなかったことにやはり傷付いたはず。
 信頼していた人々の嫉妬という醜い感情を目の当たりにした時の太宰のショックがどれほどだったか。私にも共感するところがある。
自殺の直接の原因とはならなくても、その時の傷は本人が思った以上に深く、ふさごうとしてもふさげなくてじくじく化膿していった……。
その化膿が、太宰の晩年において彼を死へ向かわせる一番の力となったのではないかと思う。
  

太宰も踏ん張ろうとしたのだろう。
何とか最後まで生きようと足掻いた。
 しかし傷は思ったより深く、重荷を担ぎ続けた疲労は濃厚過ぎて、その暗い淵の前で踏ん張りきれなかったのだ。

――この本について感じたことは書ききれないので、いずれ続きを書く(かも)

【追記】
後日、改めての追記:
この記事を読み返してみると、本を読んだ直後だっただけに引きずられて同情的な印象があるな。
現実に太宰が友人として身近にいたら早くに見限って縁を切ると思う。
が、どこかけなしきれないのはやはり、「自分もいつどうなるか分からない」と知っているから。
借金重ねてアル中で、どうしようもない駄目人間をせせら笑うのは自由だけども、「俺はあいつとは根本から違う」「自分は絶対にああはならない」と言い切ってしまうのはどうかと思う。それは自分について無知と言えるでしょう。


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