読書備忘録 “いつも傍に本があった。”

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守屋 淳『孫子とビジネス戦略』読み始めメモ

このブログ向きの話かもしれないので上げ。2011年、読み始め時のメモです。

※下画像のリンク先は電子書籍です


まだ読み始めだけど面白いです。
守屋先生の本は解説本などでお世話になったことがありましたが、今回は純粋な読書としてはまりました。ちょっと燃えています。
「孫子をビジネスに活かそう」、というタイトルのマニュアル本は世に山ほど出ていて、私も昔何冊か読んだことはあるが一度も納得出来たことがなかった。
どれも詐欺、と言うのは言い過ぎかもしれないけど、孫子の言葉を漫然となぞってビジネスに置き換えているだけで内容がない。
古代の偉大なる戦略家の神秘性を借りて、「この法則を実行していれば必ず成功する」などと暗示をかける宗教みたいなものか。あんなもの何冊読んでも役には立たないだろうにと思う。(中には素晴らしく役に立つ本もあるかと思いますが、運が悪いのか私は今まで巡り会ったことがありませんでした)
この本も始めそういう類の本かと思い、期待はしていなかった。
でも読み始めてすぐ良い意味で裏切られた。

この本は大真面目に『孫子』と西洋戦略論・現代ビジネス戦略論を比較し、『孫子』を現代に活かすにはどうしたら良いか検討してみようと書かれた本である。
要するに上から目線で
「こうしなさい」「ああしなさい」
と説教してくるマニュアル本ではなくて、学者的な公平な態度で『孫子』という素材を真摯に分析、他と比較して論じている。だから面白い。
論に同意したり違う視点から考えたり、読者として好奇心を掻き立てられる。
特に、ふんだんに散りばめられた西洋ビジネス戦略論からの引用と、孫子との対比が面白いですね。

細かい主張に関しては色々と首を傾げたりする部分もあるのだけど、こうして考えが浮かぶこと自体が奇跡的。他の孫子本はそこまでに至らなかったので、これは嬉しい。

以下、思ったことをメモしていきます。
メモなので、ばらばらに。読みながらまた追加するかもしれません。
※反対意見っぽいものも「批判」ではありませんから悪しからず。単に一読者としての所感になります※


■本田宗一郎氏の言葉に深く納得

 孫子の兵法とか旧軍隊の作戦要務令とかが、その(経営学の)経典だときいて、私もいささか面くらった。いまどき、こんなものが何かの役に立つだろうか。…私の社の社是の第一条はこうだ、「常に夢と若さを保つこと」。徳川家康も、孫子の兵法もまったく無縁なのである。

P17,引用の引用/原文:『俺の考え』本田宗一郎
 守屋氏は、「本田氏は経営に携わっておらず失敗してもやり直しが出来る現場にいたからこのようなことを言って良かった」と解釈、いっぽうで「失敗の許されない経営(財務やマネジメント)においては『孫子』が当てはまりやすい」としている。

(現場=何度も失敗して可。試行錯誤が許される。
経営=戦争と同じく失敗が許されず試行錯誤が出来ない。
故に、「現場では本田氏の言葉が当てはまり、経営では孫子が当てはまる」との守屋氏の主張)

が、本田宗一郎の言葉は現場だけに当てはまるものではないのではないか?
本田氏が言いたかったのは、
古代の指南書から学ぶのは時間の無駄。現在の経験から、現在の状況を見極め、現在において理念(戦略)を立てていけば足りる
ということではないかと私は思う。
確かに古今東西の経営論の知識は大切だし、その知識を補足するプロのアドバイザーたちが本田氏の周りには存在しただろう。だが経営判断において最も重要なのは、「今」に関する感覚。「今」を的確に判断する目さえあれば無理に千年も前の知識を掘り起こす必要はないだろう。
温故知新と言っても限度があるということ。直近の過去でも足りるはず。
そもそもこんなことを言っては元も子もないけど、私は本当に『孫子』がビジネスに役立つのかどうか疑問を抱いている。
『孫子』はあくまでも戦争の指南書だ。
戦争の指南書を無理やりビジネスに置き換えようと、たくさんの人が苦心しているが、苦心している暇があるなら現代ビジネスを直接勉強したほうが早いのでは? と思ってしまう。

言わずもがなの真実を書いてしまうと、戦争は戦争。
ビジネスはビジネス。
「人殺しもありの奪い合い」と「共存共栄の利益追求」だ。
本質が違うと割り切って専門は専門の道を学んだほうがいいのでは。
いくら『孫子』に詳しくても金計算や法律を知らなければ、現代で会社の一つも起こせない。ということで、ビジネスの極意を知りたかったらビジネス論を学んだほうが圧倒的に近道かと。
きちんと現代ビジネスを学んだ後で『孫子』に置き換えて考えるなら、思考整理の方法として良いと思う。
例、
人生をマラソンに喩えることは可能だけれども、マラソンの達人だからと言って人生全てうまくわたっていけるわけではない
(※マラソン=孫子 人生=ビジネス)


■クラウゼヴィッツと孫子の比較が面白かった。

クラウゼヴィッツは「一対一の対決」、
孫子は「多数との競争の中での生き残り」、
を書いているのだと。

鮮やかな対比。分かりやすいしその通りだなと感じた。

でもなんでこの違いが生まれたのかと考えると、私が思うにクラウゼヴィッツ『戦争論』は戦争状態を写生したもので、孫子兵法は“戦争のやり方”を初学者も含めて一から説く目的で書かれたものだから。
まず書かれた目的が違う。
そして書いている視点の時間軸が違う。
クラウゼヴィッツは既に「一対一」の戦争状態が起こった後を観察してメモしているのであり、孫子はまだ戦争が起こっていない状態の視点から説き始めている。
当然、孫子は「まだ戦争が起きていない」のだから防ぐことも可能なのである。

よく孫子は平和主義から戦争回避を説き、クラウゼヴィッツは「戦争は政治の延長」とまで述べて戦争を肯定したと言われる。
確かに、孫子は内心では戦争を嫌悪していたのではないかと私も感じる。この矛盾が私も孫子を好きな理由。
ただし戦争の本質に関しては、実は両者とも同じ真実を書いているだけに過ぎない。

戦争が始まる前の視点から見れば
「外交・政治その他の暴力以外の力を用いて敵国を圧するのが最善だ。戦争するのは最悪のこと」(孫子)。
同じことを戦争が始まってしまった後からの視点で言い換えれば、
「戦争とは外交と異なる手段を用いてする政治の延長」(クラウゼヴィッツ)
ということになる。

孫子も逆から見れば「戦争とは政治の延長における“最悪な”形」と書いているわけだ。
クラウゼヴィッツの「戦争は政治の延長」も、言葉を裏返せば政治の段階で留まることも可能だったはずという意味になる。
クラウゼヴィッツは少し言葉足らずだったということになるか。
言葉足らずでもたぶん専門家同士なら阿吽で通用する話なのだろうが、一般的な感覚からは戦争と政治をイコールで並べたようで違和感のある文に見えてしま う。現に、クラウゼヴィッツの言葉を「戦争は政治の延長に過ぎないんだからやっても構わないんだ! やるべきだ!」と過激な意味に誤読する素人がいたため大惨事が起きてしまった。
クラウゼヴィッツの『戦争論』は“論”と言いながらも、学習のためにきちんとまとめた指南書のつもりではないと本人が言っている。また未完成のメモの状態のまま発見されたことは有名。
『孫子』とは次元が違うと言うか、戦争について書かれた書物としてはジャンルが違うとさえ言って良いのではと私は思う。
この二つを同列に置いて話すのがそもそも誤読のもとだし、未完のクラウゼヴィッツには酷だなと思う。

守屋氏の著書に戻り。
一点だけ、孫子とクラウゼヴィッツとの対比で正確ではないのではと感じた部分。
 ニッチは,敵の手薄な所を突くという意味で,『孫子』にある「進撃するときは、敵の手薄を衝くことだ――進みてふせぐべからざるは、その虚を衝けばなり」という言葉そっくりの部分もある.どの企業もまだ参入していない空白部分が,まさに敵の手薄な部分となるわけだ.
ちなみに,クラウゼヴィッツの『戦争論』には「相手の戦力の最も集中した所を叩け」という指摘があり,『孫子』の考え方とは好対照を成している.
P54
 いやいやそれは対照ではなくて、説かれている戦闘の段階が異なるだけでは。
進撃する段階においては、「手薄な所から」入って行く。
そして決戦においては、クラウゼヴィッツの言うように敵戦闘力の主力を撃滅しなければならない。
「主力撃滅」は孫子で言うと、
「先ずその愛する所を奪わば、即ち聴かん」
等が近いかな。
“奪取する”と“叩く(撃滅する)”では表現も実際行動も違って来るが、要するに戦闘行為の目的として「大切な主力や要所を叩き潰したり奪ったりして相手に不利を自覚させ、こちらの要求をのませる」ということで同じ。
どちらにしろ、えげつないな。えげつなくて残酷なのが戦争の本質だ。

クラウゼヴィッツと孫子と比べれば私も孫子のほうに共感する。
だからと言って孫子を素晴らしい善人とは思わない。
数さえ少なければ人殺しをしていいという論は、それもまた違う。
戦争は戦争。両者の表現の過激さの違いは、状況が異なっていたというだけのこと。戦争のやり方など状況が変われば必然で変わってしまう。
『孫子』ばかりを永久絶対の指南書と崇めるのもどうかと思うね。


■最後に、世間話。

この本を読みながら改めて考えていたが、どうして皆、『孫子』などの指南書の一部だけしか見ようとしないのだろう?
一部だけ見ればどんな行動もどんな主張も当てはまってしまうだろう。
たとえば、太平洋戦争で日本軍は
「短期決戦」と
「早期での講和」を
結末のシナリオとして描き戦争を始めた。
この部分だけ考えれば、短期決戦と戦闘回避の講和を最善とする『孫子』を実行した、お手本のような戦争だったと言えてしまう。
ところが日本軍は、戦争の基本中の基本である兵站をおろそかにした。
全体で見れば『孫子』のお手本どころか、『孫子』さえ知らないようなド素人以下の戦争をやってしまったわけだ。

イラク戦争の際、アメリカ軍が『孫子』を参考にして戦略を立てたと主張したことは記憶に新しい。
曰く、
「孫子に習って我々は最小限の攻撃――ピンポイント爆撃だけで戦争遂行する。(だからこの戦争はやっていいんだ)」
失笑しましたね。
全体に『孫子』的な解釈から見れば、あの戦争は「やることが最悪」の戦争だったはずだ。
本気で孫子に習う気があるなら、泥沼となるのが目に見えている広い戦場に踏み込んではならなかったし、踏み込んだとしても早期で撤退すべきだった。何より、人心を踏みにじって反感を買っては敗北必至だ。孫子もそう言っている。

このように自分勝手な都合の良い解釈で、自らの穴だらけの戦略を補うために『孫子』など古典を一部引用して看板に掲げる事例が後を絶たない。

どんなに素晴らしい指南書でも一部だけの利用では必ず誤ってしまい、危険だろうと思う。


まとめ(提案)

最もビジネスに活かしやすく有用と考えられるランチェスター戦略でさえ、「本当にビジネスに活かすことが出来るのか?」と疑問視する声が増えているらしい。
まして孫子をビジネスに応用するのは至難の業と思われます。古い戦争指南書の言葉をビジネスに置き換えることばかりにこだわり、考え込んでいる時間があるなら、現代ビジネスを直接に学んだほうが圧倒的に早いと私は思うのでここではそう書きました。

ただ全く応用出来ないと考えているわけではありません。
否定ばかりしていても無意味なので戦争指南書の活用法をご提案してみます。

◎戦争指南書は現在の経験の“整理”に使うべし

まず先に現在行うべきことの基礎を学ぶ。ビジネスならビジネスについて学ぶのが先。当たり前のことなのだが「裏ワザ」を手に入れたくて戦争指南書を先に学びたがる人が多いように感じます。そして古典のみ信奉してすがりつき、現在現実についてあまり学ぼうとしない。だから口を開けば「孫子いわく~」と教訓を周りに押し付けるのみという最悪のパターンに陥る。
特に学者先生や歴史マニアの方々の中には古典しか学ばず現在を学ぼうとしない、現代について学ぶ必要など一切ないと考えている人が存在します(そのため中学生でも知っているような法律や社会常識を知らない人もいて、幼稚さに唖然とさせられることがよくあります)。
戦争指南書は現在現実について学んだ後で、自己の経験を投影させて検討するのが良い活用法ではないでしょうか。状況違いの理論はこのように遠方の鏡として活用することで、現在を客観的に眺めることが出来、行動パターンを良き方に変えていけるのではと思います。
ただ状況の差にはくれぐれも注意すべきです。場合によってはビジネスと戦争では明らかに対応が異なることもあり、戦争指南書をそのまま当てはめて考えては危険なこともあるでしょう。

◎使うなら、もれなく使うべし

次にビジネスではなく戦争の場合です。
もし現実に戦闘的な状況下で戦略論を活用するなら、一部のみ抜粋して自分の主張の拠り所とするのではなく全面的に従わなければなりません。
特に『孫子』などは一から十まで順を追って丁寧に手ほどきされた戦争指南書なはずです。一つでも欠ければそれは『孫子』を活用したとは言えないでしょう。
もちろん現代と古代の戦争では細部が違うのでここは変換する。
たとえば土煙が上がっている方向を見て敵が来ていることを知る→ 当然ながら衛星など現代技術を駆使して敵の所在を知ることになる。
あるいは、ゲリラ戦などでGPSなどが使えない状況では『孫子』がそのまま活かせるかもしれませんね。
なんでもそうだと私は思うのですが、理論はトータルに活用して初めてその真価が発揮されるもの。よく出来た理論であればあるほど一部のみの偏った利用では危険な場合もあります。
(だからこそビジネスにおいて『孫子』を信奉し過ぎてはならないと思うわけです。ビジネスという違う状況では一部の利用しか出来ないため、必ず偏った解釈となります。ですからあまり孫子を深遠で絶対的なものと思い込み過ぎず、冷静に「自己の経験の投影」程度として眺めるべきと申しております)
『孫子』は現在のような偏った利用の仕方が想定された書物ではないと思います。
奇妙にアレンジされた抜粋しか利用されないのは少々、気の毒です。
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デービッド・ハルバースタム『静かなる戦争』 感想

 2017年はトランプ政権に揺れるアメリカを目撃し、世界各国の影響力順位が変わる様を眺めた年だった。
ハルバースタム著『静かなる戦争』は、こんな今だからこそ読みたい名著。

(記事中敬称略)

〔目次〕
紹介と読後の雑感
まとめ
参考になった箇所、引用






■本の紹介と読後の雑感

本書にはブッシュ(父)政権後半からクリントン政権の内幕が詳細に描かれている。表向き流れてくるニュースの情報とはまるで質が違う。
関係者への徹底した取材で、政権メンバーの詳細な経歴はもちろん、プライベートな場での発言まで明かされる。さらにソマリアやユーゴ紛争の虐殺など世界的事件の最中、アメリカ政権内で交わされていた会話、大統領の言動が詳細に記されている。ここから「アメリカ大統領」が何者であるのか、ひいては 「アメリカ」とは何であるのかまでもが見えてくる。それは愚民制度としての「民主主義」の末路も見せてくれているのだが。

さすがジャーナリズムの傑作。圧倒のリアリズム。今まさに生きている時代の歴史書は、全てが興味深く細部まで見逃せない。
やはり現実は面白い。だが、恐ろしい。
遥か遠い過去の歴史を眺めるのとは違い、今の命に係わる現実に私は震えを抑えることができない。

この本を読んで得た結論を先に書く――
 「アメリカ大統領」とは素人集団の長である。
「アメリカ」とは、莫大な富を得たために世界一の軍事力を持ってしまった、無知な金持ちたちを乗せたジャンボジェットである。
この巨大な飛行機を操るのは未経験の新人パイロット。
我々が住む現代は、素人同然のパイロットが操縦する危ういジャンボジェットに世界の運命を委ねているようなもの。2017年末の今もまだ人類が生き残っていることは奇跡としか言いようがない。

「新人パイロット」とは言っても、これまでのアメリカ大統領たちは政権を担うことが初めてというだけだった。
ブッシュ父にしろコリン・パウエル にしろ、湾岸戦争当時の政権メンバーは若い頃から政治や戦争の場で腕を磨いた人々。
クリントン は大統領となった当時若かったし経験も十分とは言えなかったが、それでも長年政治畑を歩んできた人。周りを固めていたのも優秀な頭脳を持つ専門家集団たちだった。
そんな一流の政治エリートたちですら、超大国を操縦するにあたって長期の政策を軸とせず、国民の反応に右往左往し、行き当たりばったりにその場しのぎの対処ばかりしていたのが現実。
結果、大量虐殺の犠牲者を生み続け、テロと世界紛争の種を撒き散らした。この本に記された時代に撒かれた種は、二十年後・三十年後の未来である今、刈り取ることすらできないほどの大木に成長している。
一応は政治のプロであったクリントンたちでさえ、国家運営が未経験ゆえにドタバタとその場しのぎの対処しかできなかったことを考えれば、正真正銘本物の素人が大統領職にある今がどれほど恐ろしい状況か……。

日本のメディアは、アメリカがプロフェッショナルな軍事専門家による長期戦略のもとで動いている国家なのだという幻想を抱いている。
大統領などお飾りでしかない。どれほど無知でバカな素人が当選したとしても、大統領となった瞬間から超一流のプロたちが周りを取り囲み、手取り足取りアドバイスを浴びせるから大丈夫。何も心配は要らない。
トランプが大統領となったとき、そのような楽観的な発言をするコメンテーター、分析家ばかりだった。
現実はそうではない。王様の椅子に座っているのはお飾りではなく権力を持った愚民なのだ、と彼らが悟るのはもう間もなく。最悪の有事が起きてからではないだろうか?

おそらく有事を経た後に全ての人類が気付くのだろう、我々は数百年前、決定的に道を誤ったのだと。

■まとめ

国家運営は最も難しい仕事で、どれほど優秀な人物でも未経験者ができるものではないはず。先輩たちの仕事を観ながら学び、小さな仕事から少しずつこなして運営の技術を身に付け、何年も経てようやくトップに相応しいだけの力量を身に付ける。
ましてアメリカは人類史上最高規模の軍事力と財力を持つ。トップしか知ることのできない機密情報も膨大で、前任者から引き継いだその情報を読み込むだけで何年もかかるだろう。
それがいきなりトップの座に据えられ、ろくに情報も知らされないまま「国家の操縦をしろ」と言われる。その日から怒涛のごとく国際問題が襲い掛かる。
これに正しく対処するのは個人の能力を遥かに超える。不可能なことをやらされるのだから過ちが起きるのは避けられない。アメリカが衰え世界崩壊の種を撒き散らしたのは必然だったと思う。

未経験者または完全なる素人が大国を操縦しなければならない、というシステムにこそ重大な欠陥がある、ということに人類はいつ気付くのだろう。
プロへの尊敬心を棄て去り、プロの首を斬って素人が国を支配し君臨する。愚民の王様に政策があるはずもなく、全ては国民の言うなり、風まかせに振り回されるだけ。このような愚民制度(衆愚制)を続ける限り人類の不幸は終わらない。
民主主義の理念は正しいが、現代のシステムには明らかに欠陥がある。


■参考になった箇所、引用

 P444
ある時、ボスニア情勢について議論をしていると、アスピンが、「アメリカはセルビア人に一発食らわせ、様子を見るべきだ」というようなことを軽い気持ちで言った。パウエルは訊く。「もし、うまくいかなかったらどうしますか」。アスピンは答える。「その時は、別の手を考えよう」。するとパウエルは、第二次大戦中の英雄、ジョージ・パットン将軍の言葉に少し手を加えて切り返した。「何かに着手する時には、必ず成功するよう、手を尽くさなければならないのです」。

>何かに着手する時には、必ず成功するよう、手を尽くさなければならない
賛同する。その通りだと思う。
何事も「成功するにはどうしたらいいか」という前提で細部まで計画を練るべき(結果がどうであれ計画段階では)。子供の遊びから一般社会の仕事まであらゆることがそうであるのに、どうして戦争だけは「とりあえずやってみればなんとかなる」と皆が思っているのだろう? 
人は戦争のことになるとテーマが大き過ぎて考えが及ばなくなり、際限なく楽観的になるものなのか?

パウエルは撤退まで計画できなければ派兵に反対する人だったという。その主義が、国民の要望に応えたい政権側から見ればたびたび障害となっていたが、彼は正当だったと思う。(それにしてはイラク戦争が疑問過ぎるが。あの愚かな戦争の裏側を知りたい)

P449
「映像の持つ説得力」が、アメリカの外交政策に新たな波を起こした――アメリカは、歴史的な繋がりが浅く、自国の安全保障にまったく関係のない国へ、限定的に介入するようになったのである。政策を動かすのは、テレビの画像とアメリカ国民の「人道的な衝動」である。それだけに危険性がある。感情をもとにした政策は根が浅い。外交政策、それも武力行使を伴う政策を実行する必然性が乏しいからだ。

>感情をもとにした政策は根が浅い。
外国人から見ると当たり前の中の当たり前。
このような当たり前をあえて書かなければならないお国柄に驚く。

不思議の国、アメリカ。日本人から遠いのは中国ではなくアメリカなのだ。
人道主義は素晴らしいが、もし人道を叶えたいなら他人のために自らの命を捧げなければならない。ということをおそらくあの国の国民は知らない。
中途半端な人道主義こそ最大の犯罪で、今の世界の混乱を招いた要因。
だからトランプが候補者時代に唱えていた「他国のことに首を突っ込まない」政策は正しいのだが、今さら遅い。世界を混乱させた後で責任放棄するのはさらなる犯罪だ。せめて自分たちが招いた混乱の責任くらい取るべき。

P410
「おめでとうございます、大統領。ようやくふらつかずに、真っすぐ歩けるようになりましたね」
「君には、これまでずいぶん手厳しくやられたな」。
そう言ってからクリントンは一瞬沈黙した。それから、まるで詫びるかのように、心の内をうかがわせる言葉を添えた。
「覚えているかい? 私は知事から大統領になったから、外交政策の経験はまったくなかったんだ」
和やかな、親しみ溢れる会話だった。こんなやりとりができるようになったのは、クリントンの大統領就任から七年目のことだった。

アメリカ大統領制および、現代民主主義のシステム的欠陥を明白に表す一節。

未経験者が国家運営で「ようやく真っ直ぐ歩けるようになる」ために七年。これはおそらく超絶に早いほう。クリントンは一般人より遥かに優秀な人間なので、七年で少しだけ立って歩けるようになった。
しかしその時はもう任期終了間近。
どれほどの天才が大統領となっても間に合わないシステム。
通常なら七年もあれば国家崩壊、世界滅亡するまでに十分。これまでアメリカは莫大な富と軍事力があったので無事だったのだが、これからはそうはいかないと思う。
アメリカも、アメリカの傘の下で過ごした世界も、偏った富の上にあぐらをかき過ぎたな。

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『百年の愚行』紹介

  戦争の足音が高まる昨今、皆様いかがお過ごしでしょうか。
ぬるい平和に飽きて、血沸き肉躍るゲームのような「楽しい戦争」の夢を見ているのでしょうか。
私は思うところあり、こんな本を開いてみました。
少々古い本ではございます。
二十世紀の終わり頃に企画された、二十世紀の人類による愚行を集めた写真集です。

たとえば汚染された河川、伐採された森林、殺戮される動物たち、原子力発電の遺物、戦争、差別、貧困……等々。
そんな人類の犯罪現場を抑えた写真の数々が収録されております。
素晴らしい本ですので、ぜひご一読を。



この本の冒頭に書かれたコラムによれば、二十世紀始めの世界総人口は15~16億人であったらしい。
この本が出版された当時(最初の出版。2000年頃)は約60億人。
そしてそれから15年後の現在、約72憶となっている。

上記の数を頭に入れたうえで『百年の愚行』を眺めていくと、まさしく人類は地球の癌細胞に違いないとの想いを強める。

私は戦争が嫌いだ。戦争は回避したい。
(いや本音を言えば、戦争根絶・永遠平和を熱烈に願う)
貧困も辛い。貧困が存在するだけで辛い。
この地上において、苦しみ泣いている人がいることが嫌でたまらないと思う、我がままなタイプ。

世界人類から苦しみがなくなる日の訪れを夢見てきた。

しかしこの写真集を眺めていると、「戦争」や「貧困」など人類の病は当然の報いであるかもしれないと思えてくる。
人類自身が犯した罪の報いとして苦しみを背負っているのだと。

人類が減ることこそ、他の生物には幸福である。これは間違いのない答えだ。

穏やかに人類の出生率を下げることが出来れば良いと願う。
それもまた生きている者の傲慢なのだと知りながら。

(出生率を下げることは、生者の枠を減らす行為であり殺すことと結果は同じ。ただ生まれてきた者を苦しめて命を奪うか、出生枠を最初から絶つかであれば、やはり私は後者を支持したい。人が苦しんでいる様子を見るのは本当に耐え難い)


※関連サイト
じてんしゃ図書館」 土居さんサイト 自転車で全国を周り、『百年の愚行』を宣伝していた方



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春江一也『プラハの春』感想(本)

 2000年刊行の本。積読から引き出して読んだ。
 2016年読んだなかで最もはまった小説。

内容:
若き日本国大使館員の堀江亮介は、プラハ郊外で車が故障して困っていた女性を助ける。美しい女性に魅了された亮介だったが、会話の中で彼女が東ドイツ人であり「関わってはならない」ことを知る。しかし頭では分かっていながら運命に抗えず彼女へ惹かれていく。
1968年「プラハの春」の下で翻弄される愛を描いた小説。

著者は本物の外交官で、1968年にチェコスロバキアで起きた民主運動「プラハの春」を現場で経験されている。そのためプラハの街並みや人々の生活描写は細かく、地図と照らし合わせながら読むと実際に当時のプラハを歩いているかのように感じられる。
何より感動するのはその時その場にしか無かった時代の空気が生々しく描かれていることだ。
抑圧され人間らしい生き方を奪われた人々の暗く沈んだ生活。
ドゥプチェク政権となり、彼の語る自由路線が真実であると確信した人々が、花が開くように一気に希望を噴出させる様子。
その結果当然に惹き起こされる悲劇……、絶望。
これら歴史上現実に起きた事件の経緯が、一人の日本人の視点から細かく描写されており、当時の人々の情熱や絶望を追体験することが出来る。

体験記として出版することも可能だったろう。
でも個人的に私は、小説として描いてくれたことを有り難いと思う。
「空気感」は細かな風景描写、音や匂いの描写、人の内面の感情描写がなければ感じ取ることが難しい。だがそれらの描写は現実的な体験記では最小限に抑えられてしまう。
小説だけが、ふんだんな描写を可能にする。
だから小説はある一瞬に存在した「空気感」を缶詰にする最良のツールと言える。

著者の体験が小説として出版されたおかげで、読者の私は「プラハの春」を生きた人々とともに自由の風を嗅ぎ、凍り付く嵐に踏み躙られて泣くという経験をすることが出来た。
言論の自由が有ることの有難み、「ペンは剣より強し」の本当の意味を痛烈に感じることが出来たし、言葉の力を信じるチェコの人々への崇敬を抱くことになった。
また歴史の映像でしか見かけることがなく、よく知らなかったドゥプチェクについて人柄を知る機会を得た。
あの冷酷なファシズム※の下でさえ、自由のために孤独な戦いを挑んだ人がいたことに痺れるほど感動する。
ドゥプチェクは個人として戦いに敗れたのかもしれないが、結果として時代は彼に応え、大いなる勝利を得たのだと思える。

これはもちろん小説なので、大衆向けの恋愛ストーリーが軸となっていて安っぽく感じられる部分もあるが(もう少し描写を抑えれてくれたら文学的評価を得られたはずなのに残念)、小説として利益を回収するためには仕方なかったか。
それにフィクションとは言え、恋愛の部分もこの小説からは切り離せない要素に違いない。
恋愛も含めて、人と人との交流が歴史的事件を生きた人たちの「リアル」であるのだから。
我々は感情のない機械ではない。一人の青年が外国の街で生きていれば、恋愛や友情を経験せずにはいられなかったはず。事実そのものを書かなくとも、小説に昇華された経験のエッセンスはニュース映像以上の「リアル」を伝えてくれる。

この小説を読んで良かった。書いてくださった著者に感謝したい。


※ファシズム: ここでは広義、「暴力的な全体主義」「独裁政権」などの意味。『プラハの春』の中でカテリーナが社会主義国家を「ファシズム」と呼ぶ。

2016年11月18日筆


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佐々木毅『プラトンの呪縛~二十世紀の哲学と政治』感想



数か月前に読んだ本だが、「哲学科を出たわけでもない人間には感想を述べる資格もない」と言われそうで何も書けずにいた。
素人なりのバカな感想を述べれば、この本は心の底から面白かった。
文芸賞を受けている本に対して今さら言うことではないが、名著中の名著と思う。
門外漢の私のような人間でも近代哲学が概観できることは奇跡の書と言える。

文章は一般的に表現されており非常に分かりやすく、哲学を専攻した者でなくても読むことが可能。
だからと言って初心者向けの哲学入門書なのではない。一人の哲学専門家が、その人生をかけて読み込んできた膨大なテクスト解釈を、これだけ薄い本の中に凝縮してくださっている。それ故、読後に圧倒の充実感を得られる濃厚さがある。

また広く膨大な資料を扱っているのだが、「プラトンという古代哲学者が二十世紀の政治にどのように利用されたか」、という一つのテーマを軸として概観しているために全体が奇跡のまとまりを見せている。
この軸から視野を広げ二十世紀を眺めることで、歴史も人類も見えてくる。
何よりも今が見える。
これを文庫に収まる量で執筆された著者は天才としか言いようがない。(と、元東大総長に対して偉そうだが素人だからこそ思う。素人にも分かりやすく書くことは東大教授にはむしろ難しいことだろう)
もしこの本を読んで得られる感覚を原テクストから得ようとするなら、いったい何年かかることか。
この本に出て来るテクストのどれもが直前の誰かの論文に拠ってわずかな新解釈を加えたものに過ぎず、概観するためには全てのテクストを辿って読んでいかねばならない。もちろんそれが本来の読書の仕方で、そうするのが望ましいのだが、既に他の仕事を持ち・研究以外の生活をしている我々には物理的に不可能……。
この本を水先案内人とし、何を読むべきか知ることが出来た。私には有り難い「導きの書」だった。

個人的には、近現代の政治・戦争は最も興味のあるジャンルだから、それを背景としてプラトンを眺めることが出来たのでとても興奮した。
政治哲学については色々と考えることが多過ぎた。
そのジャンルに関する雑感はここに書く種類の話ではないと思うので、他で書く。
とにかく読書好きな人には絶大にお薦めの本です。
こんな本には一生に一度出会えるかどうか。(薦めるつもりはなかったろうが)教えてくださった人に感謝したい。


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プラトン『ソクラテスの弁明』感想と紹介

法とは何か、民主主義の行く末は? 2016年末の旬なテーマに二千年以上前の古典が応えてくれる。今こそ読むべき「人類の教科書」。





法律の初学者に与えられる小論文の課題に代表的なものが二つある。
一つは、「ソクラテスが自ら死刑を受け入れたことについて理由を述べよ」というもの。
現代の法学が西洋由来のものである以上、西における法的問題の原点とも言えるこの事件を避けて通ることは出来ない。従って初学者へ課題として出されるのは当然だろう。
もう一つは、「諸葛亮(孔明)が泣いて馬謖を斬ったことについて是非を述べよ」。こちらは少し違和感がある。
上に書いた通り現代の法学は西洋由来のものであるから、東洋の事件が課題として扱われること自体が不自然と言えるはずだ。だいいち世界的に見れば上と並べるほどの大事件でもあるまいに。しかし私は現にこの二つのうちどちらかを選択せよという課題を出しているテキストを目撃したことがあり、少なからず驚いた。確かに視点を引いて眺めてみればこの無名な東洋の事件も不思議と西洋的な法学論で読み解ける。

この二つのうち小論文として書きやすいのは後者のほうではないだろうか。
何故なら判決と処分については現代の西洋的な法律感覚から見れば答えは明白であり(刑罰は既にある法に基づき公平に処されねばならない/裁きの女神は目隠しで剣を振るう)、是か非かが問題になるのは「身近な者が裁いて良いのか」という問題(現代裁判に置き換えれば手続上の瑕疵)のみであるからだ。
これが百年前の東洋なら判決についても大議論が巻き起こるのだから不思議である。証拠に歴史学の世界では未だに批判論も多い。それだけ西洋と東洋の法律感覚は違うということだ。

しかし前者について書くのは遥かに難しい。
何故なら判決そのものが不当であると考えられるからだ。それにも関わらずソクラテスが死を受け入れたのは何故なのか、と問う。
陪審員裁判の本質的な欠陥を考えさせられ、果ては民主主義という政治体制そのものが孕む問題点も考えさせられる。
プラトンが「衆愚政治」と罵倒した政治システムの欠陥はまさに現代に通じる問題であり、この問題を考えずに今を過ごすことはあまりに危険と言える。課題として選ぶなら私はこちらをお薦めする。

ちなみに諸葛亮がもしソクラテスを裁いたならば、ソクラテスは間違いなく無罪である。
(何故なら訴追された罪とソクラテスの言動との因果関係は明白ではないので。諸葛亮は過ちの責任を無関係な当人の家族や友人にまで負わせることはなかった)
そのようにシンプルな判決が出ていたとしたら法学的な混乱は生まれなかっただろうし、哲学も現在の形では存在しなかっただろう。


西洋哲学の歴史を大きく変え、法律を学ぶ人々の悩みの種を作り出したこの大事件の発端は紀元前400年に遡る。
ペロポネソス戦争においてスパルタに敗れたアテナイの市民たちは、敗北の責任を「青年を堕落させた」とするソクラテスに押し付け裁判で吊るし上げたのだ。

ソクラテスは法廷にて自分が無罪であると言葉を尽くして弁明するけれども、彼の巧みな弁舌なしでも客観的に見て罪は無かったのである。
仮に青年等を誘導して積極的に暴動を引き起こしたとするなら扇動罪が適用されることもあるのだろう。しかし「堕落させた」というだけで(そのことも事実ではないが仮に事実だったとしても)罪が生じることはあり得ない。
ただ敗戦を招くなどしてアテナイ市民に憎まれていた政治家たちがソクラテスにかつて教えを受けたことがあるというだけだった。そんなことで死刑になるなら、世界中の犯罪者の教師たちはみな死刑にならなければならない。
ところが“愚民”たる民衆はソクラテスを憎み、陪審員たちは多数決でソクラテスを有罪とし告発者の望み通り死刑とした。

不当判決に怒り狂ったのはソクラテスの弟子たちだった。当然だ。
弟子たちはソクラテスを救うべく獄中に乗り込む。
しかしソクラテスは逃亡を断固拒否する。
曰く、
「自分は国家の法律に従わねばならない。何故ならこの国で生まれこの国に養われたのだから」。
そして彼は翌日、刑を受け入れて毒をあおる。……

ソクラテスが死をもって教えたこととは何であるのか。
法への忠誠か(法的安定性のため)、国家への報恩か。
それともよく言われるように愚民たちに自分たちの愚かさを悟らせるための懲罰だったのか?

歴史上、多くの人がソクラテスの教えを読み解き理解しようと試みて来たが、何一つ完全に腑に落ちるものはないはずだ。
こんなことを書くのは恥ずかしいが、私自身未だにこの結末に納得出来ていない。
無罪の人が有罪となるのはやはり絶対に間違っている、とシンプルに言うべきだろう。
(何故そう言うべきか。感情として正義を通したいからだけではない。判決の正当性が保たれなければ現実社会においてひずみが生じ、国家と国民を守る技術たる法律は運営していかれないからだ。正当ではない判決は確実・迅速に国家崩壊を招く。現にアテナイがそうであったように)


現代の我々が遠く眺めても納得出来ないのだから、ソクラテスの直弟子たちは決して納得出来なかっただろう。
彼らの怒りはどれほどのものだったか。察するに余りある。

『ソクラテスの弁明』はソクラテスが法廷で語った言葉とされているが、書いたのは弟子のプラトンだ。
ここにはプラトンによるソクラテスへの愛情、彼の死に対する怒りと悲しみが溢れ迸っている。
そのため全体に少し詩情の気配もあると私は感じる。

もしかしたらこの記録には、
“ソクラテスに法廷で言わせたかった”
というプラトン自身によるソクラテス弁護が多分に含まれているのではないか。
本当は何もかもプラトンの願いでしかなかったのかもしれないという想像さえしてしまう。


「私は知らないことを知っている。故に私は智慧者と言える」
法廷でソクラテスが言ったとされるこの名言も、神秘的で詩的な響きによって少々誤解されている。
ここだけ引用すればいかにも哲学的で禅問答のよう。
けれど真の意味は、ソフィスト(詭弁家)たちが
「知らないことも知っているかのように嘘をついてごまかし、人生にとって本当に大切なものが何であるか分からなくさせている」
という現実的な批判をベースにした表現に過ぎない。
大雑把に言ってしまえば、「あの知ったか野郎たちに比べれば、私は知ったかしないで知ろうとしているのでまだ知恵者に近い」というほどのこと。
当たり前だが大切で現実に役立つ教えと言える。
嘘つきの言葉にだけ飛びついてしまう現代人も少しはソクラテスに学んだほうがいい。

この
「嘘の知識でごまかされるな。本当を見ろ」
とはソクラテスが普段から繰り返し説いていた教えだった。
つまり何が言いたいのかと言うと、この言葉を本に書かれている通り彼が最後の法廷で言ったのかどうかも疑わしい。
『ソクラテスの弁明』は事実の記録なのではなく、ソクラテスの教えの究極版アルバムと見れば妥当かもしれない。


いずれにしろこの名著にはソクラテスが生きた証だけでなく、弟子による師に対する愛情が篭められていると言える。
あまりにも真っ直ぐな愛情は二千年以上を経た現代の我々にも直接届き突き刺さる。

法学的、哲学的な書物として読むのは当然ながら、弟子たちの情熱を胸に響かせて読むのも間違ってはいないだろう。

(後にプラトンの著作とされるもので「詩を排除しろ」という主張があるが、私はこれをプラトンその人が語ったとはちょっと信じられない。仮に『ソクラテスの弁明』がプラトンの筆によるものなら、彼は真に詩人だ)


※このページは大学等において哲学の教育を正式に受けたことのない者が書いています。哲学的には誤解があるかもしれませんのでご注意ください。

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広瀬 隆 『クラウゼヴィッツの暗号文』感想

広瀬 隆 『クラウゼヴィッツの暗号文』

「戦争をなくすために戦争を学ぶ」という発想は私も同じだった。が、「どうしたら戦争がなくなるのか」を知るために「人は何故戦争をするのか」から考えることは絶望に繋がる。人間の本性に悪を発見するからだ。そしてその完治出来ない悪を延々と責め続け、結果、永久に目の前の戦争をなくすことは出来ない。
“うーん。熱い。同感だ。…でも偏ってる”
この本はずっと昔に読んだので内容の詳細は忘れてしまった。上は当時の読後の感想。
延々と、戦争の悪と人間の悪を嘆き続ける内容だったように記憶している。(今読めばまた違った印象を持つのかもしれない)
とにかく現実の戦争という“非常事態”を解決するには、実務力しかないと私は思う。
根本的な人間の戦争癖を矯正できたらそれに越したことはないが、人の本質を嘆いているうちに目の前の人たちは次々と死んでいってしまう。
現実に対処するためには、決して「悪」をターゲットにしてはならない。正義を振りかざしてはならない。人道を説くより先に、より多くの命を救うためあらゆる手段を駆使したい。

この本で特に引っかかったのは、クラウゼヴィッツを現代戦争の「悪」を生み出した魔王であるかのように描いていることだった。たかが軍事の実態をメモしただけの人に、全ての「悪」を背負わせるのはいかがなものか。
クラウゼヴィッツは「戦争は政治の延長だ」と書いたのであって、「延長として必ず戦争をしなければならない」と言ったわけではない。むしろ現実の戦闘の前に政治があること、戦闘は戦争の一部に過ぎない(つまり必ずしも現実戦闘をする必要はない)ことを、実務のままにメモしただけ。「敵戦闘力の撃滅」という言い方は確かに絨毯爆撃の論拠となったが、国家全体が力であると書くのは単なる真実でしかない。結論、孫子と同じことを書いているはずだが、孫子に比べて足りなかったのは「目的さえ達成すれば戦闘は要らない」と説かなかったことだ。本人が言っているように『戦争論』は実務メモに過ぎないのであり、後進の者のための指南書ではないからだろう。
実務の半端なメモをヒトラーみたいな単純な素人が手にすれば読み間違えてしまうのは、当然といえば当然かもしれない。悪いのは読み間違えて暴走した素人、そして誰でも手に届く場所にこの本を置いた人々。
今となって嘆いても仕方がないが、軍事本は兵器と同じと見て危険物扱いにしたほうが良い。


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なかにし礼『赤い月』と、ドキュメンタリーの話



ドキュメンタリー番組『告白~私たちの満州~』を興味深く観た。
幼い頃を満州で過ごしたタレントたちの実体験は凄まじいものがあった。
私たちは
“何があったか”
を知ってはいても、体感としての苦しみを知らない。
「帰国して渡された食糧に虫がわいていた(自分たちは人間扱いされていなかった)。闘いはこれからだと母は言った」
等、今回語られた記憶には想像以上の現実があった。
「私たちには命しか残っていなかった」、この言葉が全てを表している。

同じく満州で幼い頃を過ごした人による小説として思い出したのは、なかにし礼の『赤い月』。
主に母親のことを描いた物語なので、今回ドキュメンタリーではさらっと流されてしまった、当時の大人たちの満州での生活ぶりも知ることが出来る。
「栄華の絶頂」と表現されたその生活の豪勢なこと。
かつて満州は確かに"夢の地"であったのだ。(当時の日本人にとって)
また、なかにし自身の目で見た引き揚げ時の景色描写は詳細で鮮明だ。
記憶として淡々と書いてしまったという印象がある。心理描写が弱いため感情移入出来ない。
が、むしろそれ故に景色描写がありありと伝わってくると感じるのは私だけだろうか?

――真っ暗な大地が光を浴びると、一面の死体野原だった。
――命がけで渡った河に沈む、とろけそうに赤い夕陽。

戦争や時代背景、当時の思想、現代の喧々諤々な議論……、それら雑音の全てが消えて満州の景色だけが脳裏に浮かんだ。
何故だろう、私にはその光景がたまらなく懐かしかった。
たとえばあの地平線。そこへ沈む巨大な太陽。
「一面の死体野原」までもが懐かしかった。良い意味での「懐かしい」ではないが、奇妙な既視感を覚えて静かな涙が流れた。

満州の歴史的事実を描いたノンフィクションは様々あるが、ソ連侵攻からの悲劇を伝えたいという社会的使命感に傾いているきらいはある。
もちろんそれこそが最も大切なことだが、現実に体験した一般庶民の事実を感じるには社会的使命だけでは不十分かもしれない。何故なら悲劇に焦点が当てられるために、当時の人間の目から見た光景の全てが描かれることはないからだ。
『赤い月』の感情が欠落した表現は、景色描写としては完璧だった。
もし体感として満州の景色を見たかったら、この『赤い月』は絶大にお薦めする。
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冲方丁『天地明察』感想(本、映画)



小説の感想

ようやく読むことが叶った。『天地明察』。
もうずっと、何年も前からこれだけは読みたいと思い続けていたのだが、しばらく“読書断ち”していたので読めなかったのだ。
読書断ちしている間に文庫も出ていたらしい。
ありがたく文庫を購入して読んだ。

まず書いておきたい、素晴らしい!!
こんなにストレートに「素晴らしい」と叫びたくなる、気持ちの良い小説を読むのは何年ぶりだろう。
もしかしたら日本の現代作家の小説では初めてかもしれないな。
一点、強調しておきたいのだが歴史小説好きにはこれは受け入れられないと思う。
この小説には「歴史小説らしさ」がないからだ。
歴史小説独特の、歴史臭(講談臭)がしない。
SF作家さんが書いたということだったのでもしかしたら、と期待したが当たりだった。正直思ったよりは歴史小説らしさを装っていたが、視点と心理描写が明らかに現代小説のもので、歴史アレルギー持ちの私でもアレルギーを発症せず読むことが出来た。

※「歴史臭」とは何か? カビの生えた講談調の言い回し、同じく講談調の定番過ぎる展開(あるいは“新説”と称して定番の逆でしかない展開)、三人称にしても視点が遠過ぎて表面的な心理描写。登場人物が全て人形劇の人形のよう。

『天地明察』という小説の素晴らしさは挙げるときりがない。
まず、切った張ったが出て来ないことが本当に素晴らしい。
今の世の中、「殺人」ありきのストーリーばかりでつくづくうんざりしている。物語の流れで人が死ぬのならまだしも、「殺人」から物語が始まるものばかり。現代作家たちは「殺人」から始めなければ物語が書けないらしい。バカなのだろうか?
『天地明察』では歴史物なのに人が殺されない。斬り合いシーンさえない。
ただ心の勝負があるだけだ。
これだけでも奇跡的に素晴らしいと思った。
殺人も殺し合いシーンもなしで、こんなにも手に汗握る面白い物語が生まれたことが嬉しい。

それから、登場人物が魅力的。
歴史作家たちが歴史上人物を描くときは「いかに我々と違って偉い人間なのか」をアピールしようとする。そのため主人公は高みに置かれ有能で重厚な人物として描かれる。(だからこそ歴史小説の地の文の視点は客観的で、遠い)
だが『天地明察』の描写は真逆。
主人公の春海(算哲)は一所懸命だが不器用、正直で朴訥、夢はあるが野心はないというピュアな人物として描かれている。この主人公がたまらなく魅力的だ。思わずふっと微笑んでしまう彼の失敗が身近に思え、応援したくなる。さらに居場所を探して苦しんでいた若き春海には、自分自身の経験を重ねて共鳴さえした。
関孝和や水戸光圀、保科正之なども、実在人物であるのに雲上の高みに置かれず生き生きとした人間らしい魅力を放っている。
えんや、村瀬とのやり取りにテンポの良い会話文が用いられているのは、「ライトノベルっぽい」と言って嫌う人も多いだろうが私は(この程度なら)好きだ。

そして何より、題材がいい。たまらなく、いい。
碁に算術から始まり、月星の観測へ流れていく。
空を見上げ、空へ手を伸ばす。ただひたすら真っ直ぐそれだけの世界。
私にはどうしようもなく好みの世界だった。
これを読んでいる間中、幸福な気持ちに浸ることが出来た。
作者に“ありがとう”と言いたい。こんな物語を世に出してくださって、ありがとうと。

上に「こんなに気持ちの良い小説を読むのは何年ぶりだろう」と書いたのだが、実を言えばこの小説は私の人生を変えてくれる気がした。それほどのインパクトがあった。
と言うのは個人的な事情による。
算術に浸って楽しげにしていた算哲を見て、自分もあそこに行きたいと思ってしまったとき、自分が疲れていることにはっきりと気付いてしまった。
実際、戦いの世界には飽きてしまったのかもしれない。
算哲が御城碁に飽きて求めた「戦い」などではなくて、義務として巻き込まれるくだらない社会の戦いに。
もういいんじゃないか。戦いを投げ出しても許されるんじゃないか。
これを読みながらずっとそんなことを考えていた。
可能なら、これからの人生は算哲のように空を見て幸福な心地で生きたいと思う。
(今さら算術や天文の道に行くという意味でなない。ただもう少し素直になり、楽しいことを求めて生きるべきだと悟った)
若い頃のような「文学に衝撃を受ける」ということとは違うが、この本は私の人生の節目に必要だった気がする。
運命の本だった。


以下は細かいことです。

■この小説の暦などの知識には難があるらしい

アマゾンレビューによれば、『天地明察』の暦や算術の知識には誤りがあるらしいから注意したい。
小説なのだから、小説として面白ければそれで良いと私は思う。ファンタジーやSFなら設定は自由に出来るのだから。だが、知識にこだわるタイプの人には我慢ならないことかもしれないね。
まあ、確かに冲方さんは専門知識を突き詰めず早急に文を書いてしまう癖はあるのかも……と、先日の「二次創作論」を読んで思った。

■映画について

幸いにも、映画は小説を読むより先に観たので純粋に楽しめた。
映画は省略が多くストーリーもかなり変更されていた。
しかしそんな映画でも2時間半、飽きずに見ることが出来、「ああー面白かった!」と呟いてしまうほど堪能した。
あの長編を2時間半という短い時間に収めたのだから、あちこち省いたり、ストーリーの変更があっても仕方がなかったと思う。
むしろラストのほう、小説では春海がロビー活動で策略を展開するのに対し、映画では真正面から再びの勝負に挑む。小説のほうが歴史的事実なのかもしれないが、ちょっと前半と後半で人物の性格が変わったかなという印象を持つ(それは大人としての成長という意味で悪印象はないものの、やや複雑な気分)。物語としては映画のほうが主人公の人格が変わらず、気持ちの良い展開となっている。
あと細かいことだが、映画で私が感銘を受けたのはタイトル画像の美しさ。
星空をバックに 「天 地 明 察」 の四字が表れた瞬間、そのあまりの美しさに涙が出た。
漢字というものは、なんて美しいのだろうかと思った。星空といい、この四字の語感といい、文字の形といい、完璧だ。
あの画像を見ても、自分にはもう一度帰りたい世界があると感じた。

※2014年8月31日筆

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坂の上の雲(感想メモ2)

前記事より続き。

・日本に優秀な戦略家がいないと書いたが、日露戦争の時にはそうではなかった。秋山参謀のような職人から、児玉源太郎のような俯瞰脳を持つ政治戦略家まで粒揃い。現代から見れば羨ましい、明治政府の教育方針ゆえか。
またこの明治の当時、滅私奉公の精神を政治家が当たり前にもっていたことにも頭が下がる。日露戦争の戦略を担当した参謀本部次長たち(田村い与造、川上操六)が過労で死んでいった。この後、児玉源太郎は大臣から参謀本部次長へと降格してまでこの激務の後を継いだ。その児玉は日露戦争の後に死んだ。
国のため降格し、命を削ってまで任務をまっとうする。…偉い人がいたもの。泣いた。

・ところで司馬先生が「児玉源太郎は読書家ではない故に天才」と言い、読書家へさんざん嫌味を書いているのには参った。
自分の本を読んでいるお客様のほぼ全てが“読書家”であることに気付いているのかいないのか?(笑)
うっかりミスなのか、それとも冗談なのかなと思ってちょっと笑いました。


・引用、三巻P196
「ちなみに、すぐれた戦略戦術というものはいわば算術ていどのもので、素人が十分に理解できるような簡明さをもっている。逆にいえば玄人だけに理解できるような哲学じみた晦渋な戦略戦術はまれにしか存在しないし、まれに存在しえたとしても、それは敗北側のそれでしかない。」

>すぐれた戦略戦術というものはいわば算術ていどのもので、素人が十分に理解できるような簡明さをもっている
全くそのとおりだと思う。
戦闘の勝敗というのは純粋に力の合計のみで決まるから、本来なら小学生でも計算可能なはずだ。たとえば敵の兵数が6万、こちらが4万とすると、同等の能力を持つ兵だった場合に必ず6万の敵が勝つ。子供でも分かる。
しかし実は、その単純さを受け入れることこそ素人には最も難しいのではないでしょうか、司馬先生。

シンプルな定理を見抜けないのが、素人が素人たる所以なのでは。
基本をとらえられないから、少し複雑な結果になると分かりにくい。たとえば小が大に勝つという結果は、複雑で不可解なゆえに素人目には「天才が起こした奇跡」に見える。(この小が大に勝つという場合、素人目には見えにくい兵力以外の要素が力学的に勝っていたという単純な事実があったからに過ぎないのだが)
つまり素人のほうが神秘的で哲学的で、難解な非合理に飛びつきがちだ。

>逆にいえば玄人だけに理解できるような哲学じみた晦渋な戦略戦術は…敗北側のそれでしかない
第二次世界大戦時の日本国の戦略のことを仰っているのだと思うが、「玄人だけに理解できる」は逆でしょう。
その時の戦略は玄人向けに作られたものではなく、むしろ素人向けに作られた宣伝。プロパガンダ。
非合理な戦略は一般大衆が素人だからこそ受け入れることが出来るもの。あれが意図的に国民の協力を目的として考えられた計略なら、(宣伝効果という点で)至上稀に見る成功に終わったと言えるだろうし、戦略としても決して大きなはずれではなかったと思う。
司馬先生は愛国心のことを「戦略の非合理」と呼ぶけれども、その合理、総合戦闘力とは経済力と兵数のみで量れるものではない。兵士・国民の士気、忠誠心というものも戦闘力の重大な要素。
というのは、先に日清戦争の結末を眺めていて大いに分かるはず。巨大な戦艦を持っていて、物理の戦闘力では日本を上回っていた清が敗北したのは何故か? 愛国心、忠誠心(統制力)という要素が欠乏していたからだ。この点で日本国は清国より勝っていたためにトータルな、つまり「総合戦闘力」の数値が上昇し勝利することが出来た。日露戦争でも最終的には、敵国ロシアの統制力のなさのおかげで日本が優ることが出来たと言えるだろう。どれほど強い戦艦を持っていたとしても、使う者たちの戦闘力が弱ければ役には立たないのだ。
確かに経済力や兵数と比べて、愛国心に基づく統制力は数値に置き換えることが難しい。しかし、難しいからといって、「存在しない」ものではない。司馬先生のように「あいまいな神秘」などと断言してこの重大要素を排除してしまっては、清国や露国と同様に滅亡の道へまっしぐらだろう。

ところで明治政府の為政者たちが「国民精神の高揚などというとりとめない発言をしなかった」というのは信じがたい。
“富国強兵”という小学校の社会で習ったあのスローガンは気のせいだったのか? まさか。
明治時代ほど日本人が国民精神を高揚させ、一致団結して国を高めていった時代はなかったろうと思う。だからこその日清・日露の勝利があったことは見逃せないだろう。
少し戦争を齧れば、過去の日本を勝利へ導いた重大要素が「国民の統制力」にあったことは見抜ける。太平洋戦争開戦時において、為政者たちはこの過去を見習い、足りない戦闘力を補おうとしたのではないか。
だからあの曖昧で哲学的なスローガンは、全体の戦闘力を底上げするプロパガンダとして、戦略を考える側から見れば“有用であった”と言える。
ただし太平洋戦争の不幸なところは、物理的に圧倒的に不利だったゆえに「国民精神の高揚」という要素を足しても敵国に戦闘力が追いつかなかったことだ。(このため「国民精神の高揚」が神秘的な妄想に過ぎなくなってしまったのだ)
さらに全体的な戦略シナリオの欠陥。というよりはシナリオの欠乏。
参謀という戦術家の寄せ集めだけで、行き当たりばったりに戦争をしたという感が否めない。戦争の結末を方向づける戦略家の存在が見当たらない。
そもそも勝利が妄想と言えるほど総合戦闘力が劣っているのなら、現実の戦闘に踏み切るべきではなかったのだが……。
「窮鼠 猫を噛む」か。
いたしかたなかったにしろ、もう少し無謀ではないやり方があったように思う。
太平洋戦争の末期に至っては、素人だけが信奉するべき「神秘」を戦争のプロたる将軍たちまで信じるようになってしまったようだ。
伝統的な歴史小説ファンタジーに基づき、「現場ですべて何とか出来る」という妄想を現場に押し付けた。
(※これは歴史小説で描かれている、「天才たちが現場ですべて何とかした」かのような嘘っぱちな戦争フィクションを鵜呑みにしてしまったもの。だから歴史小説は現実に対して有害なのだ。プロは中華と日本の歴史小説を捨てろ)
当たり前だが物理を無視しての“戦闘力の底上げ”はあり得ない。物理あっての精神による戦闘力の底上げだ。太平洋戦争ではプロまで妄想にすがりつき、あまりにも精神に偏り過ぎた。偏ったから悲劇的な敗北を喫した。プロが妄想にすがってしまっては従う国民は妄想で溺れ死にするしかない。

現代について。
戦後史の流れとして、司馬先生の「愛国心=戦闘要素ゼロ」という偏った結論が現代日本のスタンダードな考え方になってしまったとするとまずいなと思う。偏れば滅ぶ。

司馬先生もそうだけど戦争を体験した先輩たちは、過去の反省から「愛国心」を過剰に排除しようとしてきた。
神経質なまでに愛国心を漂白する現代教育。私自身もこの教育を受けて来たので、同世代の多くの人々と同じように「愛国心って何?」「国のため?馬鹿馬鹿しい」と思うほう。だから、分かる。今もし戦争が起きたら清国と似たような状態になるだろうこと。国が滅ぶのを憂えるよりも自分の身が傷付くのが嫌で、戦場から逃亡する人がきっと多い。

愛国心を漂白する教育が悪いと言っているのではなくて、事実としてこの国は弱いと考えられる。もし総合戦闘力を数値に置き換えることが出来るとしたら、今の日本の戦闘力(政治・経済含む)は先進国最低レベルの数値になるのだろう。


追記: 
細かいことを書いてしまったのは、、司馬作品が「つい語りたくなってしまうほど詳細で素晴らしい」小説だからです。
興奮を抑えられず物語の中に唐突に登場してしまう「私」と、熱い語り口が私は好きです。この情熱に導かれて目が止まらず、読み進んでしまう。
情熱溢れる創作。素晴らしいです。


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司馬遼太郎『坂の上の雲』感想メモまとめ

 東洋の歴史物アレルギー持ちである私に、
「これなら近代でリアルだから大丈夫でしょ」
と言って相方がクリスマスに『坂雲』全巻をプレゼントしてくれた。
確かに、近代のリアルな戦争物なら読める。むしろ好んで読む。
『坂雲』は私の好きな明治以降の話だから気にはなっていた。
いざシバリョウ・デビュー。
読み始めたら思った以上にリアルだったため、はまったはまった。
考えが山ほど湧いて、様々なところに感想メモを書き散らしてしまった。
ブクログ・歴史館と散らかったメモをここにまとめておきます。
乱文ママなので読みづらいことご容赦を。

紹介。電子で合本が出ていたらしい。これ欲しいなぁ
※電子書籍です、注意※ 


紙本はこちら:

 

■2011年1月 読了時の感想 (ブクログで書いたもの)

爽快です。凄惨な戦争場面は辛かったが全体に前向きな力が溢れてくる。
リアルの話は面白い。細かい記録描写も全て丁寧に読みました。長く心地良い読書でした。
「感傷を軽蔑する」などと、まるで恋愛を軽蔑する中学生かのようなことを仰っていた司馬先生が書き終わった後は呆然としてしまったとのこと。この話に涙が出た。
これだけ膨大な記録を調べながらの執筆活動は人生そのもの、命を注がれたことでしょう。
素晴らしい作品を読めた幸せを噛み締めます。


■2010年11月 4巻について(同じくブクログにて)

しばらく途中で放置していたのですが、ドラマが放送される前に読みたいので慌ててまた読み始めました。

この巻は特に実際の記録を並べて著者がご自身の意見を延々と書くという、あまり小説的ではないスタイルに終始しています。物語性が低いので駄目な人は駄目だろうなあ。私は好きですが。

詳細な記述と熱い語り口に感じるところが多かった。
児玉さん、個人として素晴らしい。しかし国家全体では兵站という戦略の基本中の基本をおろそかにし、「現場で何とか出来る」という歴史小説的な妄想において全てを現場に押し付ける体質。苛々した。(この体質は現代まであらゆる分野で続いている)
士気を重視する乃木さんの態度には感服したが、ここまで来れば伊地知への信頼は失墜しているので彼を降ろさないことこそ士気に関わるだろうと歯噛みした。
露の狂乱についても事実は小説より奇なり。要はどっちもどっち、戦争をするレベル以前の問題。

近現代戦は武器だけとんでもなく優れているのだが、使う人間の組織に欠陥があったり、戦略の基本が抜けているような気がします。それで大量殺戮兵器を扱うのだからなお恐ろしい。

引用箇所、同意です。
 恐怖心のつよい性格であることは、軍人としてかならずしも不名誉なことではなく、古来名将やすぐれた作戦家といわれる人物にむしろこの性格のもちぬしが多い。人間の智恵は勇猛な性格からうまれるよりも、恐怖心のつよい性格からうまれることが多いのである。が、古来の名将といわれる人物は、それを自分の胸中に閉じ込め、身辺の配下にさえ知られぬようにした。それが統帥の秘訣であるだろう。


■歴史館の日記より。その1

10/01/03
再び『坂の上の雲』から。
日本人には「兵站」という概念がなかった、という話に心底驚いた。
「…日本人の戦争の歴史は、一、二の例外をのぞいてはすべて国内が戦場になっており、兵站というほどのものが必要であったことがない。強いて例外をもとめれば、豊臣秀吉の朝鮮出兵のとき、(略)」
<文春文庫(1)P233>

本当だ。近所でしか戦争経験のない民族。

だから戦争と言えば戦場で羽みたいなものをバサバサ振って隊を動かす、みたいな現場イメージしかないのだな。歴史の話になると陣の動かし方はこう、と現場知識ばかり誇らしげにひけらかしている。
なんてこった。
そのファンタジー頭のまま第二次大戦に突っ走り、“兵站”がいかに大事かも考えられず、大量の戦場での餓死者を出した……わけか。

涙。
戦うことも出来ず飢えで亡くなった方々、本当に気の毒に。

戦争の実務は兵站に始まり兵站に終わる、はず。
武具・兵器の調達から食料の確保、その輸送路確保。近隣諸国との水面下での根回し。
つまり、「戦争」=後方支援+政治。
実際、現場の戦場ですることなどほとんど無きに等しいと言って正しいはずだ。(と、私は思う)

日本人に戦争を教えようとやって来たドイツ人講師が頭を抱えたのも当然。
「戦場は、戦争そのものではない」 (※戦場は戦争のほんの一部の場面に過ぎない)
ということなど何度教えても日本人にはピンと来なかったに違いない。
いまだに大学の歴史学者ですら「戦場=戦争」だという前提で話をしているくらいだから。

日露戦争まではどうにか戦争を知識として叩き込むことが可能だったとしても、その後は伝統として根付いていかなかったのか。ドイツ人の直属の弟子たちが死んだら知識は潰えてしまった。
そのためにあの大敗。
民族に刷り込まれた思い込みを叩きなおすことは出来なかった、ということだ。

“戦場で羽などバサバサ振って戦う”という、
こんな阿呆なファンタジーを植えつけてしまった責任の一端は『三国志(演義)』にもあるな。
あれは庶民による庶民向け、素人による素人限定の物語。
すなわち書いた人間も戦争のド素人だ、という事実を割り切って読むべきだ。
(そう言う私も素人ですが)
大陸の人たちは割り切って読んでいるのではないかな?
『三国志』はあくまでも京劇用の台本。日本と比べて劇と現実物語との区分けが非常にきっちりしているように思う。
日本の場合、織田信長や豊臣秀吉の史実をもとにした逸話なんかとごちゃ混ぜになり、『演義』もほとんど史実と同等に受け取られて、現実とフィクションの区別がつかない人たちを大量に生み出してしまったのでは。

最も困ると感じることは、『三国志』を読んでいる人々には現実の戦争の知識がない。
そして現代戦争のプロたちは、『三国志』などの古典時代にほとんど興味がない(現実としては)。ということ。

だから『三国志』に現実が浸透していくことはついになく、古典信奉者たちはファンタジーを鵜呑みにして現実だと主張する……。
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これはきっぱり……日本人には戦争は向かない、と言うしかないのではないか。
少なくとも外国との戦争は無理、本質的に他国とは違う気がする。やめておくべし。やめておこう。

追記: 日本人は戦争に向かない代わりに和を保つ稀有な才能を持っている。他国のような無茶苦茶な暴君(私欲のエロと殺戮に突っ走った独裁者)を出したことが一度もない、これは奇跡。こんな国は他にないのだから。
戦争は日本人の性に合わないと知り、この民族の才能を良い方向に生かしていけたらと思う。


09/12/31

秋山真之は書生時代、「試験の神様」と呼ばれていたらしい。
(『坂の上の雲』情報)
彼は普段はろくに勉強しないのだが、ヤマを当てる天才だったため、いつも一夜漬けで試験を切り抜けていたそう。
友人に「どうしてそんなに当たるのか」と聞かれると、教師の立場で考える・過去のデータを分析する等々ありきたりのことを言いつつ、最終的にはやはり“カン”と答えたという。

どこでも似たような人がいるのだなと思う。ちなみに私も秋山氏と同様のタイプです、限りなくレベルは低いが;

この後の秋山氏の自己分析が面白かった。
「自分は要領が良すぎる」。
だから、学問は二流で終わるしかないと彼は言う。
そして結局、そんな「要領の良い」人間は軍人にでもなるしかないから、参謀への道を歩んで行く……。

唸ったね。それはそうなのかもしれない。

シバリョウ曰く、
「学者は根気とつみかさねであり、それだけで十分に学者になれる。一世紀に何人という天才的学者だけが、根気とつみかさねの上にするどい直感力をもち、巨大な仮説を設定してそれを裏付けする。真之は学問をするかぎりはそういう学者になりたかったが、しかし金がない。学問をするには右の条件のほかに金が要るのである」
金がない! 
そう、才能のほかに必要なのは金(環境)、これは絶望的な真理。
ただその絶望的環境が秋山を参謀職に導いたわけで、やはり運命はその人なりの道に向かうように仕組まれているのか。

追記:
にしても、近代はやはり面白い。
近現代好きなのは、エピソードが作り物ではない可能性が高いからです(たとえフィクションだとしてもリアルらしく感じられるよう気を遣われている)。それに近現代物はミニ情報が多いところがいい。たとえばヨーロッパで騎兵が創られたのはチンギス・ハーンの騎兵軍団に影響を受けたから、等という話など私には面白かった。

感想メモ2へ続く>>


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角田 房子 『碧素・日本ペニシリン物語』 感想と紹介

 ドラマ『JIN-仁-』でペニシリンのありがたさが描かれていたが、現実にペニシリンの開発が進んだのは第二次世界大戦中だった。
1929年、英国人フレミングが偶然に導かれて発見したペニシリンは、長らく誰にも注目されることがなかった。だが第二次世界大戦が勃発し、傷病兵を治療する必要性から一気に開発が進み、米国において大量生産・実用化に至った。(英国人フローリーらの尽力による)
つまり軍事力を高めるために開発されたもので、“戦争が世に生み出した薬”と言っても過言ではない。
偉大な薬さえ戦争が生んだという事実に私は複雑な思いを覚えたが、ともかく以降ペニシリンは多くの人命を救い、人類の平均寿命を延ばしたのだった。
そのペニシリンが、実は日本でも戦時中に開発されていた。
しかも日本オリジナルの“碧素”として――。

ペニシリンの歴史について知っている人でも、この事実を知らない人は多いと思う。
角田房子の『碧素・日本ペニシリン物語』によれば、第二次世界大戦末期、激しい空襲下でペニシリンを開発した人々がいた。

「敵国でペニシリンが開発されたらしい」
という情報が日本にもたらされたのは昭和十八年末。ドイツからの潜水艦が日本に持ち込んだ『臨床週報(クリーニッシェ・ボッヘンシュリフト)』が陸軍軍医少佐稲垣克彦に手渡される。
その後、チャーチルの肺炎がペニシリンで治ったという報道(誤報)に接した陸軍は軍医学校に
「昭和十九年八月までにペニシリン研究を完成するよう」
との命を降した。
稲垣の主導で第一回ペニシリン委員会が開かれたのは、昭和十九年二月。
まだペニシリンを作り出すカビの株さえ見つけてはいなかった。
英米でさえフレミングがペニシリンを作る青カビ(ペニシリウム・ノターツム)を発見してから、生産までに長い年月をかけている。
「ペニシリンという薬があるらしい」
という報道以外に具体的な情報は何も得られない日本で、株の発見から薬品の開発までをやるということは、英米の辿った道を始めから歩むということ。それを半年や一年でやれというのは無茶な命令だった。
しかし、日本の研究者たちはその無茶をやってのける。

日本中の学者が一つの目的に向かい、個人としての名誉や利益を捨てて協力し合った結果、たったの一年半でペニシリンの生産にこぎつけたのだ。
物資の揃う米国で生産されたペニシリンに比べれば混ざり物の多い薬だったが、それでも立派に人の命を救う抗生物質だった。
しかも国内で発見された株の、国内で開発された“日本オリジナル”ペニシリンだ。
この日本産ペニシリンは、「碧素(へきそ)」と名付けられた。
※碧素:軍によってペニシリンが敵性語とみなされたので、日本独自の名前が付けられた。「碧素」は当時の一高生が名付けたもの。青いカビの美しさから。

自分の弁当を実験用マウスに与え続け、栄養失調で倒れかけた相沢憲。
東京の委員会には始め参加しなかったが、東北帝大での秘密の研究でペニシリン株を発見した近藤師家治、その師である黒屋政彦。
空襲さえ恐れずに実験に没頭する多くの研究者たち。……
彼らが何故そうしたかというと、戦争に勝つためというよりも
「やはり命を救いたいという使命感だった」
と言う。

私欲を捨て、使命へ身を捧げた人々の存在に心が震えた。
戦後、アメリカ軍がペニシリンを持って来るのだがその場面には耐えられず号泣してしまった。
P215 
…ペニシリン入りの瓶は、すでに秋の色を帯びた日ざしを受けて、キラキラと光った。やがて出月が、「白いね」とポツリといった。…
小出は、「ほとんど白色に近いきれいなペニシリンを見た時は、ただもう“恐れ入りました”の一語でした。これでは、戦争も日本が負けるわけだ……とつくづく思いましたよ」と語る。

自分より優れた人を妬んで足を引っ張るか、劣等に見える人を蔑み嘲笑することしか能のない現代日本人。くだらない。
かつてはこんな日本人たちが存在したというのに。

この本の締め括りとして掲げられた相沢憲の言葉を私もメモしておきたい。
P229
「戦後の抗生物質研究のめざましい発展に、戦中のペニシリン研究はその基礎となったという意味で、非常に役立ったと思います。もう三十年余り前の昔話になりましたが、空襲下の極度に貧しい条件の下で、みなが自分の名誉など問題にせず、一致協力してあそこまで研究をやりとげたことは、高く評価されていいと思います。
その後、二度とあれだけの研究体制がとられないのは残念です。その理由はいくつか挙げられましょうが、私はそれを承知の上でなお、なぜ出来ないのかと問いかけたい気持ちです。
抗ガン剤の研究も、それぞれが自分の城にたてこもってやっていますが、戦中のペニシリン研究のように、互いに研究内容を知らせ合い、助け合って進めてゆけば、アメリカのように大金を投じなくても立派な成果が挙がるはずです。あのころは、今にも日本が負けるというギリギリの状況だったから共同研究も出来たが、今のような豊か平和な時代には出来ない……ということでは、研究者として情けない話です。
確かに、学問は非常に進みましたが、人間もまた進歩した……といえないのが、実に残念です」

(絶版のため、内容の解説や引用を多めにしました)

***
この一ヶ月、仕事上の資料を読む必要があったので趣味の読書はほとんど出来ませんでした。
合間を縫って唯一読んでいたのがこの『碧素・日本ペニシリン物語』。
ペニシリンについて知りたい、と言った私に、その道の専門家(後に書いたように浜田雅先生)が直々に貸してくださった本です。
お借りしたのがちょうど一ヶ月前。
数日後、著者の角田先生が亡くなられたという報道がされました。
読んでいる最中での報道だったため驚きました。
借りた時はご存命と伺ったので、いつかこの本の復刊についてお話が出来ないかと淡い夢を抱いてしまった……。
ご冥福をお祈りします。
素晴らしい本を世に残していただき、ありがとうございました。

※2010年筆




この本に関していただいたメール:
読まれた方から、メールをいただきました。
この本に登場される近藤師家治先生をご存知の方からです。(仮にT様とします)
ありがとうございます。
個人が特定されるような具体的な話は伏せますが、近藤先生が所長をされていた研究所にT様のご家族がお勤めで、その関係から子供の頃に近藤先生と交流を持たれたそうです。
大変貴重なお話だったので、以下ご本人の承諾のもと、メール文から引用させていただきます。
(「フィクション寄りに再構成を」、というご依頼だったのですが、私は本人による衷心からの言葉以上に気持ちが伝わるものはない、と信じる者です。おそらく問題ないだろうと思われる個所のみ抜粋します)
(個人情報略)……ですので私が小さい頃はしょっちゅう所長先生(近藤所長の呼び名)のお宅に連れて行ってもらい、遊んでもらい子供の如く可愛がってもらいました。
所長先生にはお子さんがいらっしゃらなかったのですが、大変子供好きで部下の子供を大変可愛がっていたと思います。
まさに親戚のおじさんでした。


また権威と名声の対極にいる方で、ご自宅は患者さんに手作りで作って貰った家でした。
晩年のお仕事は抗ガン剤の研究でしたが、残念ながら市販化間近で予算が足りず世に日の目を見ることはありませんでした。


(詳細略: その抗がん剤はエビデンスがあり、とても予後が良かったとのこと)
つくづくこの有効な薬が世に出なかったことが残念でなりません。

私はこのような環境にいたにも関わらず、注射をされるのが世の中で一番嫌いだったので医者になろうと子供の時から一度も思いませんでした。
物心ついたころから他の生物学に魅了され一心に勉強していましたが、紆余曲折があって遠回りをしてから獣医師になりました。
病気は理不尽です。病気があることが患者の全てを制限してしまいます。
それをどうにかしたい!というのは医学をする上で根本だと思います。
仙台に帰省するたびに所長先生のお墓参りをします。
墓碑には日本で初めてペニシリンを発見したと刻まれています。

ただご家族も亡くなってしまい、もう所長先生に近い人は誰もいません。
以前はお花が一杯手向けられていましたが、最近は私たちだけになる時もあります。
悲しいですが、仕方がありません。
私は医療者としてこの先見果てぬ高みを目指しますが、やっぱり所長先生の意志を継ぎたいと思っています。
生まれた時から先生が亡くなるまで、我が子のように目を掛けて下さいました。
同じ道(人と動物に違いはありますが)を人生として選んだ以上、この偉大な医学者に恥じない生き方をしなければと思います。

見ず知らずの人間が突然メールをして失礼しました。
ただ近藤先生を1人でも多くの人が知ってくれると、やっぱり嬉しいです。

後のメールより追記
最後に、
個人的に申し上げれば、ひたすらに命に真摯に向き合うという医学の根本を最後まで実践された方だと思います。
我々は学ぶことが多々あり、忘れてしまうにはあまりに惜しい人間だと思います。
そういう事実は忘れてはいけないもの、その精神は継承し続けないとならないものかもしれません・・・・

感動的なメールでした。
私は拙いながら感想を書かせていただき、ご縁をいただいてこのようなお言葉に接する機会を得たこと、深く感謝致します。

---この本をお借りした方について詳細をカット致します---
私も実は代々医師の家系に生まれながら、全く別の道を行き医学には完全なる「門外漢」となってしまった身です。
今回このようなメールをいただき、無為に生きている身を恥じるものです。
微力ながら、何かできることはないかと思い、いただいたお言葉を公開させていただきました。


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