読書備忘録 “いつも傍に本があった。”

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芥川龍之介『杜子春』を読み直す

 先日、片頭痛の話『歯車』にて芥川龍之介について書いたらむしょうに芥川を読み直したくなって、kindleで芥川ばかり読んでいる。

読み直して改めて感動の落雷に打たれているのは、『杜子春』。

ラストのこの一節は、大人になった今になって触れると涙が出るではないか。

「どうだな。おれの弟子になつた所が、とても仙人にはなれはすまい。」
片目眇(すがめ)の老人は微笑を含みながら言ひました。
「なれません。なれませんが、しかし私はなれなかつたことも、反(かへ)つて嬉しい気がするのです。」
――お前はもう仙人になりたいといふ望も持つてゐまい。大金持になることは、元より愛想がつきた筈だ。ではお前はこれから後、何になつたら好いと思ふな。」
「何になつても、人間らしい、正直な暮しをするつもりです。」
以上、『杜子春』より
http://www.aozora.gr.jp/cards/000879/files/170_15144.html

深く共鳴する。
この「人間らしい正直な暮らし」というものの、なんという得難さ……。仙人になるより遥かに難しい。
それを身に染みて知っていた芥川だからこそ絞り出されたこの台詞。
そう思うとたまらず涙が出てくる。


ところで『杜子春』には中国古典の同じタイトルの原作があるが、この際読み比べてみたくなり、取り寄せてみた。





芥川よりグロテスクだの利己主義だの、「意味ワカラン」だのと評判の悪い原作。

芥川との違いをまとめるとこうなる。
(完全ネタバレなのでこれから読みたいと思う人は読まないように注意してください)


・物語の舞台は洛陽ではなく長安。
・「仙人」である鉄冠子は、「道士」。
・杜子春は人間に絶望して仙人になりたいと望むわけではない。お金をくれた道士へ報いるため言うことをきく。
・鉄冠子が起こす超能力(地中に金が埋まっている、空を飛ぶ)などの派手な描写はない。
・杜子春の親ではなく妻が責め苦に遭い、杜子春へ救いを求める。が、杜子春は妻には冷たく無言を貫く。妻は切り刻まれる。
・次に杜子春が地獄へ落とされ全ての拷問を受ける。地獄の責め苦でも声を出さなかった杜子春は罰として女に生まれ変わる。
・女に生まれ変わった杜子春が、夫に我が子を殺され初めて「ああ!」と声を出してしまう。
・褒めた鉄冠子と違って、道士は声を出した杜子春を激しく罵倒。
・杜子春は仕方なく人間の生活へ戻る。
・未練が残り、かつて道士がいた場所へ行ってみたりするがそこに道士はいない。
杜子春は声を出した自分を恥じて後悔して生きていく。


細かい違いも興味深い。
芥川が、長安ではなく洛陽に変えたり、道士を鉄冠子に変えたりしたのは単にそのほうが日本の読者に馴染みがあると思ったからか? (鉄冠子は『三国志』に登場する左慈のこと、洛陽はその左慈が同作品中で出没する都市。当時の日本人にも馴染みがあった。芥川自身も『三国志』の愛読者だったらしい)
原作の杜子春が妻には冷たく、妻が切り刻まれるのを見ても無視するのに、女として生まれ変わった時に子が殺されて初めて声を上げるのにはツッコミたくなる。唐人には女性の我が子に対する愛情しか「愛情」というものがなかったのか?(唐の男は平気で妻子を殺せたのか?) これが芥川版の杜子春なら、親であれ子であれ妻であれ、自分以外の親しい人が責め苦に遭ったら声を上げてしまうはずと思うのだが。

ラストの道士の態度と杜子春の心持は芥川版と真逆と言えるだろう。
この結末がやはり最も大きな違い。

評判は悪いが、私は原作は原作で筋の通った物語だと思う。
そもそもこれは釈迦の輪廻伝説と似た系統の宗教説法と考えられる。
目を差し出して潰され憤慨した前世の釈迦が、輪廻から解脱する卒業試験に落ちたように、「全ての人間としての感情を捨てなければレベルアップして人間以上の者になることは無理」という当然のことを教えている。※もっと正確に言えばこの世は全て幻であり、幻に心を動かしているようでは人間レベルを脱することは不可能ということ
その代わり原作では声を出してしまった杜子春を否定も肯定もしていない(道士の罵倒は決して人間の否定ではない)。ただ「杜子春は人間レベルである」という事実認定だけ。この点、公平な説教と言える。

いっぽうの芥川版『杜子春』は人間肯定の物語だ。
芥川の『杜子春』が、芥川の独自作品として強い輝きを放っているのは、最後の一言(上の引用部分太字)に芥川自身の心の叫びが乗っているから。

「桃の花の咲く畑のある一軒家」はまさに人として生きていく幸福の頂点にある。
ラストの描写でその究極の桃源郷が鮮やかに脳裏に浮かぶ瞬間、あまりの幸福な光景に涙が滲む。

あの景色を描いた芥川は、なんという真っ当な人なんだろうか。
上でもなく下でもなく真ん中を望んだ。健全健康な精神の持ち主。
しかしその健全な人がついに桃源郷に留まることが出来なかった。

遠く、桃の咲く一軒家が明るい陽射しに照らされて見える時、そこへ憧れた人の切ない嘆きの声が私には聴こえる。


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万城目学 おすすめ

純文ばかり読んでいるわけではないんですよ。
と言うわけで、肩の力を抜いて読めた万城目本のおススメ二冊をご紹介します。

■鴨川ホルモー


【内容情報】(「BOOK」データベースより)
このごろ都にはやるもの、勧誘、貧乏、一目ぼれ。葵祭の帰り道、ふと渡されたビラ一枚。腹を空かせた新入生、文句に誘われノコノコと、出向いた先で見たものは、世にも華麗な女(鼻)でした。このごろ都にはやるもの、協定、合戦、片思い。祇園祭の宵山に、待ち構えるは、いざ「ホルモー」。「ホルモン」ではない、是れ「ホルモー」。戦いのときは訪れて、大路小路にときの声。恋に、戦に、チョンマゲに、若者たちは闊歩して、魑魅魍魎は跋扈する。京都の街に巻き起こる、疾風怒涛の狂乱絵巻。都大路に鳴り響く、伝説誕生のファンファーレ。前代未聞の娯楽大作、碁盤の目をした夢芝居。「鴨川ホルモー」ここにあり。

ホルモー同士を操り戦わせるという戦略ゲームサークル、バカバカしい設定に登場人物たちが大真面目というところが面白い。あちこちツボに入りまくりで、始めから終わりまで笑っていた小説はこれが初めて。
『三国志』など古典戦争の喩えが随所に出てくるので、お好きな方はそういうところでも楽しめるはず。
しかし個人的にツボだったのは、京大生の主人公が大学生にして初めて『三国志』を読み“中国モノと知らんかった。我が国の物語だと思っていた…”と驚愕する場面。
おお、京大生と自分、一緒じゃないか。というところが嬉しい。(私も17歳まで同様だった、笑)
現代の「平均」を描いていて共感できる。

■プリンセス・トヨトミ


このことは誰も知らないー四百年の長きにわたる歴史の封印を解いたのは、東京から来た会計検査院の調査官三人と大阪下町育ちの少年少女だった。秘密の扉が開くとき、大阪が全停止する!?万城目ワールド真骨頂、驚天動地のエンターテインメント、ついに始動。特別エッセイ「なんだ坂、こんな坂、ときどき大阪」も巻末収録。

『ホルモー』に比べると落ち着いていてお笑い控えめ、大人しくなった印象がある。
しかし設定は「大阪国独立」という突飛なもの。突飛ながら、もしや著者は本気では?と思わせるほど細かく構成されている。
この細かい構成によって小説としての疾走感を失っているのですが、歴史の「IF」などマニアックな空想が好きな人は楽しめるはず。

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ガルシア・マルケス『百年の孤独』感想と紹介



読み終わり頁を閉じた瞬間、熱風が体の中を吹き抜けて去ったことを感じた。
生命は終わる。魂も去る。
物語は読み終われば目の前から消えてしまう。
けれど確かに読んでいる間、生命の風は熱をもって胸の中に渦巻いていた。

濃厚な生命の営み、魂の脈動を体感する小説だ。
人も動物も生まれ死に再生し、やがて消え去る。生と死のダイナミックな営みが巻き起こす一時の風こそが、世界の求める力。
この世界観は東洋の輪廻思想にも通じる。

不思議と生命力は文章からも伝染するようで、読書中も読み終わってからもしばらく体の底から湧き上がるエネルギーを感じ続けた。
“生命の水”、まさにウィスキー的な小説と言える。
最高の酩酊体験だった。


(蛇足)

未読の方へ、この本の紹介。

ノーベル文学賞受賞作、南米文学の最高峰と言われるガルシア・マルケスの傑作。
「死ぬまでに一度は読むべき本」として世界中の読書人がこのタイトルを挙げる。
しかし昨今の日本において小説技巧に囚われている人たちがこの物語に入り込むことは困難かと思う。
ミステリ等のエンタメに慣れ、「起承転結があって」「伏線がきっちり消化されていて」「現実的で辻褄が合う」小説以外は小説と呼べないと思い込んでいる人たちにとってこれは小説ですらないかもしれない。理解不能な異端文書だろうか。
物語の舞台は南米のある架空の町。
この町に生きるある一族の人生を、百年生き続けた母なる女性を中心として綴っていく、というのが一応のストーリー。
しかしストーリーが現実の時系列に従って真面目に展開されることはない。
設定は飛びまくる。現実的な革命の話などを書いていたかと思えば、魔法や呪術が割り込み、突飛なファンタジーへ浮遊する。
大量のエピソードが投入される。渦を巻く熱風が何もかも巻き込んで吹き上げるように、エピソード群は空へ放り上げられ、くるくる 廻りながら落下し物語へ落とし込められていく。
魔法あり呪術あり、それでいてファンタジーではないカオス小説である。
日本の読者が最も苦手な「ジャンル分けされない小説」と言える。
「なに、このつまんない小説……。意味分かんない。ダメな小説」。
そんな友人らの声が聞こえてきそうだ。
だがストーリーや技巧に囚われず、純粋に物語を受け取れば、全てのエピソードに濃い味が仕込まれていることに気付くのではないかと思う。

実は『百年の孤独』という小説、全エピソードにおいて現実的な構想のもと、打ち崩して再構築するという高度な技術が用いられていると思われる。
背景には作者の執筆に対する激しい情熱が渦巻いている。作者自身がエピソードを全身全霊で味わい、崩して弄ぶことを楽しみながら書いたことが感じられる。
決して読者を煙に巻き文学風を装う目的で書かれた小説ではない。
「空っぽ」とは違う。魂が吹き込まれた生きた小説だ。
それ故、理屈は無用。
素直に感性に身を委ねたなら退屈を感じることなく物語を最後まで味わい尽くすことが出来るだろう。

小説は体感せよ。
「ストーリーがなきゃダメ」だの
「私小説や文学は敵。排除せよ!」だの、
ごたくを並べている暇があったら傑作を味わおう。
せっかく天才が残してくれた絶妙なるご馳走、味わわなきゃ損、損。

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サン=テグジュペリ『星の王子さま』池澤夏樹訳 感想



池澤夏樹の新訳『星の王子さま』を文庫で手に入れた。
我ながら信じられないことに泣いてしまった。
初めて『星の王子さま』の物語が理解できた。この物語が長く読み継がれている理由も。

子供のころ一度だけ『星の王子さま』に挑戦したことがあったが、説教臭い子供騙しのファンタジーとしか思えず、すぐに放り出してしまった。(自分が子供だから、子供向けに意識された内容がよけいに嫌だったのだと思う)
今になってようやく『星の王子さま』を理解できたのは、訳がどうのというよりも、自分が大人になったからだ。

花の我がままに疲れて逃げ出したことのある大人。
逃げ出しておきながら、ほんとうは弱い花をいつまでも思い続けている大人。
他の何千とある同じ種類の花ではなく、たった一つの花でなければならない大人。
“飼いならされる”ということが身にしみて分かっている――飼いならされたあとにその相手を、失う痛みを知っている大人。

『星の王子さま』とは、そういう大人が書いた物語。
そして、そういう大人だけが深々と理解できる物語。

果たしてこれは童話なのか。
確かに大人が自分の人生から得た教訓を子供に伝えるためのものだと思う。
だけど、この物語は子供には分からない。分かりにくい。
分かりにくいからこそ、あえて未来に彼らが経験するだろうことを伝えるために、その時は誤まらないよう伝えるために書いたのかもしれないけど。
それにしても難しい。

この物語を
「子供の目から見た、汚い大人に対する批判」
と理解するのは残念ながら子供ゆえなのだな。
無傷なときには理解できず、過ちを経験した後にようやく理解できる。
つまり『星の王子さま』は、童話としては矛盾している。
また王子さまはイエス・キリストがモデルで、このストーリーは聖書の教えを伝えるためとの見方もあるけど、きっとそうではない。聖書はストーリーを考える時のモチーフに過ぎなかったと思う。
これすべてグジュペリが実際に生きて得たエッセンスを絞り出したもの。
だから同じ気持ちを持つ者が、切なくて何度も涙を流す。

インデストラクティビリティ。破壊しえない一つのもの。
童話としては矛盾しているけれど、『星の王子さま』はこれからもたくさんの涙を受け止め続けるだろう不朽の名作だ。

追記:訳文について。
池澤夏樹の文は、もともと私はとても好きなので文句なし。
このようなシンプルな物語を伝えるためには、シンプルな彼の文がとても合っていると感じた。
池澤夏樹は“静謐な文”と言われていて、日本の作家にありがちなくどさがなく、村上春樹のようなユーモア(嫌味っぽさ)もない。このため人によっては情緒がないと感じられるかもしれないが、『星の王子さま』にはこのように静かな文が向いている。いや、むしろこうでなければと思う。

2005年筆
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ファンタジー小説、個人的おすすめ9選

 決して「これだけ読めば間違いなし」というファンタジーのスタンダード・リストではなく、個人的な好みで並べるだけですのでご了承を。あまり多くの方の目に留まらない作品をご紹介できればと思います。
(3/14『東方綺譚』追加)


東方綺譚



東方綺譚 (白水Uブックス (69))


ご紹介いただき最近読みました。感謝。

東方(アジア~中東)の昔話や伝説をモチーフにした短編集です。
ギリシャ詩文やオリエントの歴史に博学な著者による、ホメロスさながら比喩を駆使した描写が美しい。
ファンタジーではありますが、人間の醜さも哀しさも評価せず描き出すこの物語は、人生を味わう文学として大人の方にお薦めします。

第一話、『老絵師の行方』の情景描写は最も鮮烈な描写で圧倒されます。文から鮮やかに放たれる色彩が、脳裡に再生されるごと眩暈を覚えます。
東洋は、かくも美しかったのか。
今は失われた古の景色を想い、胸が締め付けられます。

私は第一話の第一文から惹きつけられました。長らくこういう濃厚な小説を読んでいなかったので、充たされる想いです。
個人的には『老絵師の行方』が最も好きです。「漢代」ということで私には響くものはあったのでしょうが(とは言え描写は漢代だけではなく清代と混ざっている気がしますが)、何より性的な匂いが比較的に薄い作品で、弟子の想いの清潔さが好みでした。(秘められた設定はともかく。女性が読むとまた違う感想となるかも)
『源氏の君の最後の恋』も、日本の情景の美しさが老いの哀しみを引き立たせ、味わい深いものです。
ニンフ(ギリシャの妖精)の話になると、我々極東から見ればもはや「東方」の情緒はなく「西方」ですね。描写の耽美さは若干劣りますが、人間の貪欲さと卑しさ、それに伴う哀しみを描き出す筆に慈悲を感じます。特に女性にはお薦めでしょう。

ところで、西洋人の脳を一度通過した東洋の景色はどうしてこれほどにも神秘的で美しいのでしょうか。
東洋のような、東洋でないような。まるで天才老絵師の描いた絵のような究極の美しさは、どこか死後の景色にも近い気がします。



シュナの旅



何を言おうと私はかつての宮崎駿の目指したものが大好きでした。好きだから最後となった作品の『風立ちぬ』が残念で、文句を言ってしまった。
アニメ映画では『ナウシカ』が最も完璧だったと思うのですが、彼の作品の中で最高峰と思うのは、実は映画ではなくてマンガです。
それも『シュナの旅』という、一冊で終わるとても短い物語。

シュナの旅 (アニメージュ文庫 (B‐001))


ストーリー: 貧しい国で人々が飢えていくのを見かねた王子シュナは、伝説の豊穣をもたらす「金の種」を求めて旅立つ。チベット民話がモチーフの素朴なファンタジー。

無駄を削ぎ落とした静かなストーリーは、人の心の根底に眠る古い時代の記憶を呼び覚まします。
私は最初から惹き込まれて一気に読みました。
最近のゲームファンタジーのような派手な冒険はなく、展開も地味なのですがそこが良い。絵も素晴らしく丁寧で誠実な作品。

これを、「現代アニメではありがちな設定。展開が地味。つまんない」などと言って切り捨てる人はどれだけ感性が鈍いのだろう?と思います。
なんでも「設定ありがち」と切り捨てたら古典など絶対に読めないだろうが。
感性が貧しい人が実に多い。

『シュナの旅』は地味なストーリーであるから、当時のアニメ界での成功は見込まれず、宮崎駿はこれの映像化を断念してマンガとして世に出しています。宮崎氏本人によるその愚痴には同情しました。
こういうシンプルな物語を「ありがち。つまんない」と言う、まさにそんな感性の貧しい観客に翻弄された結果が最後のあのジブリ作品なのかと思うと、たまらなく残念なのです。
もし宮崎駿が引退前に観客の意見を募っていたなら、私は最後の作品に『シュナの旅』を推していたと思います。

ただアマゾンに掲載されている門倉紫麻氏の言葉、「アニメという万人に向けた形をとっていれば、また違うものになっていたはずだ」という意見にも同感です。アニメ化されることで地に落ちるくらいなら、これはこのままのほうが良い。



ゲド戦記



ゲド戦記 全6冊セット (ソフトカバー版)


アニメ映画は評判悪かったようです。
どうやら始めは原作通りに作ろうとしたのだが、宮崎吾朗氏が上の『シュナの旅』を織り交ぜて作ろうとしたために、半端な作品となってしまったらしい。
この映画が理解不能だったせいで原作の『ゲド戦記』を手に取る人も少なかったのでは、と思います。

でも原作『ゲド戦記』はそんなに悪いものではない。と言うよりも次元の違う名作です。
哲学ファンタジーと呼べるようなもので、根底に古今東西の思想があり、読者を深い思索に誘う力を持ちます。
私がこのファンタジーと出会ったのは大人になってからなので、残念ながらつい知識をもって読んでしまうのですが、子供の頃にこの本と出会えた人は幸せだと思います。イメージ力、メタファーを解釈する力、思索力を養うのに最高の物語です。

個人的には「真実の名」という、東洋の諱(いみな)のような設定が面白かったです。そもそも古(いにしえ)にはそのような伝説があって、諱はそこから発祥したのでは? などと空想させられました。
どこか東洋的な雰囲気漂う西洋人の物語は、神秘的で面白い。同じく東洋の雰囲気漂う『スターウォーズ』も、たぶん『ゲド戦記』に影響されているのではと思います。

※私は2巻辺りまで読んだところで読む時間がなくなり、積読中



アーサー王と、薤露行



新訳 アーサー王物語 (角川文庫)
新訳 アーサー王物語 (角川文庫)

ファンタジーを語るならまずこれを読まなければならない。
そう言われるほど基本中の基本、最低限のファンタジー教養です。
全ての西洋を舞台とするファンタジーが何らかの形で、必ず『アーサー王』の影響を受けていると言っても過言ではありません。

『アーサー王』を読んだことがない人も、石から剣を抜く青年のイメージはどこかで見かけたことがあると思います。

冒険あり、魔術あり、恋愛ありのエンターテイメントなのですが、不義の展開が多く共鳴する部分がないため正直面白いものではありません(笑)。西洋にはファンが多いけど日本人の肌には合わないでしょう。
ただこれは子供のように物語を面白がって読む種類のものではなくて、教養として読むものと思います。

ところで夏目漱石も『アーサー王』を題材にした作品を書いていて、こちらは恋愛文学として一読の価値ありです。

薤露行
薤露行

「薤露行(かいろこう)」とは、“人生はハスの葉の上の水滴が乾くように、一瞬にして過ぎ去る”という歌の題。
漢代の中国、貴族の葬式で歌われる葬送歌です。
西洋ファンタジーに「薤露行」というタイトルを付ける漱石のセンスの良さに眩暈がします。




ネバーエンディングストーリー(はてしない物語)



はてしない物語 (エンデの傑作ファンタジー)
はてしない物語 (エンデの傑作ファンタジー)

あれは、私がこの小説の主人公と同じくらいの年の頃でした。図書館で、分厚い赤い本に惹かれて手に取りました。
「読書好きの少年がある時、赤い装丁の本を手に取る。本の内容は壮大なファンタジー。本の中で『ファンタージエン国』は今にも虚無に飲み込まれようとしていた。国を救うためには英雄が必要。その英雄の名とは―― え、本を読んでいる自分!? やがてその本の中から自分を呼ぶ声が聴こえる……」
まさに読書している自分と重なる設定なので、本の中から呼ばれるのではないかとドキドキしながら読みました。
子供心をつかむ仕掛けが満載の、脳内で作り上げるバーチャル・リアリティ・ファンタジーと言えます。子供にお粗末な3D映画を見せるくらいなら、この本を読ませたほうが遥かにイメージ力を鍛えられるはずです。

主人公が引き込まれるファンタジー国の世界観も繊細で美しく、惹き込まれます。深い思想をベースにした物語は大人でも楽しめるはずです。
この小説は映画となっています。CGのなかった時代、巨大な美術セットで造り上げられた美しい映像はとても好きなのですが、主人公が異次元へ吸い込まれるところで終わっているのが残念です。物語の本題はその後にあるというのに。
子供ながらに考えさせられたストーリー。いつかもう一度読みたいものです。



楽園



楽園 (角川文庫)
楽園 (角川文庫)

日本ファンタジーノベル大賞受賞作です。
鈴木光司は『リング』シリーズが売れて有名となりましたが、それらの商業作品より遥かに芸術性の高い秀作です。おそらく鈴木氏が本当に書きたい小説とは、こちらの系統だったのだろうと感じます。
(残念ながら当初この芸術性高い作品は売れなかったようです。生活のためホラーを描いたところ、ようやくヒットしたとか)

古代のゴビ砂漠から始まり、18世紀南太平洋を経て、現代アメリカへ。
輪廻転生を思わせる壮大なストーリーの中で、男女のロマンスが描かれます。
「輪廻転生」と言ってもお子様向けの生まれ変わり物語ではなく、アジア大陸からアメリカ大陸へと人類が移動し、DNAが受け継がれていったということを象徴的に描いたものです。
人類を巻き込む、スケールが大きな愛の物語と言えます。

読み終われば長い長い映画を観たような充足感を覚えることでしょう。
『リング』も良いけど、この作品もぜひ読むことをお薦めします。



扉を開けて



扉を開けて
扉を開けて

最も有名なファンタジーと言えば『ナルニア国物語』ですが、子供の頃にナルニアが好きだった著者が小説家となり、書いた作品がこちら。
ライオンに乗ったり剣を振りかざしたり、どこかナルニアっぽい。でもあのライオン、実は人間なのです。

主人公たちは1980年代の東京に住む超能力者たちです。
主人公は念力者、友人はテレポーター、そして月夜にライオンに変身してしまう男。この三人が異世界へ飛んで大活躍する物語です。

小学校の頃、それまで推理小説好きだった私の趣味を一変させるほど熱中させてくれた小説でした。
面白くて面白くて、何度も読み返したのを覚えています。
もし大人になってから読んだのだとしたら、幼稚な文体に馴染めず最初のほうでやめてしまったのかもしれませんが、子供だった私にはとにかく中毒してしまうほどの面白さでした。

思い返せばこれは、戦争で活躍する英雄の物語なのですね。
それも古代的な国で、現代人が知恵を駆使して戦闘に勝利するという。よく考えてみれば私は個人的な事情にて、そのようなところにはまっていただけかもしれません。

ただ新井素子の作品ではその後『グリーン・レクイエム』や『ラビリンス』を読み、さらに深い衝撃を受けました。
子供だったせいなのか、あまりの衝撃で眠れず、夜中に部屋をうろうろした覚えがあります。
特に『ラビリンス』はもう一度読み返したい秀作です。
若い方にはお薦め致します。

グリーン・レクイエム (講談社文庫)
グリーン・レクイエム (講談社文庫)

ラビリンス(迷宮) (徳間文庫)
ラビリンス(迷宮) (徳間文庫)




十二国記



月の影 影の海〈上〉 十二国記 (講談社X文庫―ホワイトハート)
月の影 影の海〈上〉 十二国記 (講談社X文庫―ホワイトハート)


同じく和製・異世界ファンタジーとして有名なのはこちら。
(和製なのに何故か中華、という点はご愛嬌)
90年代に十代の間で流行した小説ですが、今でも熱狂ファンがいるほどの人気作品です。

同じ異世界に飛ぶ設定でも、『ナルニア』等とは違って全体に暗さのあるダーク・ファンタジーと言えます。
『扉を開けて』と比べるのも面白いです。バブル期の若者である『扉を開けて』の主人公たちが、「現代に帰りたい」と切望し帰還するところでめでたし・めでたしと終わるのとは逆に、『十二国記』の主人公たちは異世界へ行ったきり帰って来ません。
いや、そもそも異世界生まれの主人公たちにとってはこの現世こそ「異世界」であって、あちら側が故郷。現世では「疎外感」を感じており、元の国へ戻ることで自分の居場所を取り戻す……。
なんとも言えない複雑な気分となる設定です。

誰でも十代の頃は疎外感を感じ、「自分の本当の居場所はここではないんだ」と思うもの。それで、異世界へ行きたいと妄想したりします。それ故、異世界逃避設定はいつの時代も十代から絶大な支持を得ます。
しかし逃避したままでは駄目で、必ず現世へ戻って来て歩き出さねばならないと思うのに、この作者は「行ったきり」を選び取る。そのような逃げたまま設定があるのだ、あっていいんだ、という衝撃とともに新ジャンルを開いた作品だと思います。
著者はもしかしたら意図していないのかもしれないが、このあってはならない設定こそが人間の心の闇を考えさせる秀作となっています。
(アマゾン・レビューを読むと、この小説は「カウンセリング小説」と言われていて、現代の若者に癒しを与えているそうです。他人はしょせん他人、闇に生きて幸福な日常を夢見ないクールな心理が共感されているのかもしれません)

とは言え私はファンの方々のように、この作品に熱くはまるということはありませんでした。戦闘などの細かい設定を愉しむことも出来なかった。終始、上のように冷めた目で分析してしまいました。このためシリーズ最初のほうで挫折しています。

ただし個人的には、「麒麟」という存在だけに共鳴しました。
一人の主人に忠誠を誓えばその誓いを覆すことは出来ない。また、血に弱く、世のどこかで殺戮が行われていると弱っていき死に至るという聖獣。
いかにも中華的なメタファーです。
この一点に共鳴し過ぎてしまう自分もなんだろうか、とは思います。



ますむら・ひろし宮沢賢治選集



銀河鉄道の夜―最終形・初期形〈ブルカニロ博士篇〉 (ますむら版宮沢賢治童話集)
銀河鉄道の夜―最終形・初期形〈ブルカニロ博士篇〉 (ますむら版宮沢賢治童話集)

宮沢賢治は、小説で読むのももちろん良いのですが、私は個人的に ますむら・ひろし という漫画家の作品が最高と思います。

登場人物は何故か全て、猫。
この時点で「なんで猫?」と疑問符が浮かび、生理的に受け付けない方は多いかもしれません。
ただ絵は緻密でファンタジック、闇も包含した独特の濃厚な世界観があり、私はこれ以上に賢治世界を再現したものはないと思うのです。

『銀河鉄道の夜』には15歳の夜に触れて、号泣しました。
それは後から考えればやはり私個人の事情による号泣だったのですが、ますむら・ひろし画の猫たちの表情や背景が切なく美し過ぎて、なおさら泣いてしまったところがあります。
以来、ますむら画の賢治作品は私の人生に刻まれる大切な思い出となっています。

(ところでこの漫画を貸したところ、「気色悪い」という表情をしながら無言で返してきた人がいました。絵が生理的に苦手ということもあったのかもしれませんが、それより単純に『銀河鉄道の夜』のストーリーが理解出来なかったらしい。現代人の感性の貧しさはここまでなのか…)

ますむら氏の絵による賢治作品『グスコーブドリの伝記』は、数年前にアニメ映画化もされました。
原作通りというわけではなく、またジブリのようなエンターテイメント・ファンタジーでもないため評判は悪かったのですが、賢治精神のエッセンスを並べたような映画とは言えます。ラストは様々な賢治作品を(勝手に)思い出し、涙が浮かびました。
でも、出来れば賢治の原文または ますむら氏の原作を読んだほうが良いでしょう。

この画がきれいなので、大きい画像をリンク。

グスコーブドリの伝記 [DVD]
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奇跡を感じられる、スピ風味のおススメ小説

ハッピーニューイヤー。
せっかくの新年です。巷には嫌なニュースが多いけど、少し空を仰いで奇跡を感じてみませんか。
「奇跡」と言っても、本格スピリチュアルでは疲れてしまう方も多いでしょうから、ソフト・スピリチュアルと言えるようなほんのり奇跡が漂う小説をご紹介していきます。


スター・ガール



ある高校に一人の女の子が転校して来る。
奇抜なファッションに身を包み、変わった行動をとる彼女はクラスで浮いてしまうのだが、主人公は次第に彼女が真実の人であることに気付いていく……。
ごく普通の青春小説の形を取っているし、超能力などの目に見える奇跡は起きないのだけど、じわじわと「奇跡」が伝わって来る小説です。キリストや釈迦など人類から一歩突き抜けた人が、ごく普通の高校生をやっていたらこんな感じなんだろうと思わせます。
それでも宗教的な匂いはなく、爽やかな読後感です。
ファンタジーを描かずに「奇跡」を描くこの小説は本物。この小説の存在こそ「奇跡」とも言えます。多くは語らないので、とにかく読んで体験してください。


奇跡を信じて



なんだこの宗教本みたいな装丁は! 
と始めは思いましたし、あの「超訳」という文体に馴染めず、読み始めてすぐにギブアップしてしばらく放置していました。
しかし、ある時ふと読んでみたら引き込まれ、最後は涙が止まりませんでした。
日本では『セカチュー』なんて小説が流行りましたが、ごめんね比べものにならない。「奇跡」とは愛のことであり、愛のない小説では感動出来ないのですよ。
この小説には愛がある。愛の思い出は空虚さでも喪失感でもなく、これほどにも温かく満たされているもの。
ちなみに原題は『A Walk to Remember』。同タイトルの映画もあるようです。



パウロ・コエーリョの本

彼の本はとにかく何を読んでも「奇跡」を感じ、感動します。
古典的なファンタジーのような美しい物語を用いて、自然に神秘が身体に染み込むよう導いてくれます。
特に、どなたにも『アルケミスト』を絶大にお薦めします。
童話のようですが大人こそ読むべきです。人生で大切なことは何か思い出し、肩に入っていた力が抜けて涙が流れるでしょう。






こちら『11分間』だけ恋愛小説で大人向けです。性的な話ではあるのですが、ここには「真実の愛」と運命の出会いが描かれています。



リチャード・バックの本

世界的名作、『かもめのジョナサン』を読んだことがありますか?
あの小説はキリストを表現したものと言われており、ヒッピーにも影響を与えるなど一大ムーブメントを起こしたそうですが、その時代に生まれていなかった私にはそういう解釈はピンと来ません。

私が『かもめのジョナサン』を読んだ時は、宗教ともヒッピーとも無縁の、非常に個人的な「奇跡」と感じました。最も深いところで共鳴したものです。誤解を恐れずに言えば、ジョナサンは自分だと思いました。ジョナサンが求めた世界は自分も知っているし、とても懐かしく、彼の孤独には涙が出た……。

後にバックの自伝的小説を読み、やはり『ジョナサン』は宗教とは何ら関係なかったんだなと知りました。むしろ現代スピリチュアルに近いようです。
「キリスト教的」とさんざん言われたこの本の著者が、実は大の宗教嫌いで全ての組織的宗教を否定しているのは笑えます。(むしろ組織的宗教の批判のために書いたのだろうなということが、『かもめのジョナサン完全版』で分かる)







私は生まれる見知らぬ大地で



始め何の物語なのか分からず退屈で、下品なオバチャンにしか思えない登場人物にも全く魅力を覚えなかったのですが、次第にこのオバチャンがとんでもなく高い人格を持つ女性だということが分かってくる。
そして明かされるのは、この小説が真実の転生物語だということ。奇跡の再会に泣かされる。

日本で「輪廻転生」を描いた物語というと、前世の恋人同士が再会するなどのありきたりなファンタジーくらいしかなく、真実性は感じられません。
ところが西洋だとこのように美しい転生物語が誕生するのだから不思議です。
思うに日本などの東洋世界では「輪廻転生」など当たり前過ぎて、使い古されたファンタジーの設定でしかないのですが、西洋ではまだまだ驚愕の「奇跡」としてスピリチュアル分野に位置づけられているからだと思います。

あまり有名ではないこの小説ですが、騙されたと思って一読することをお薦めします。
心洗われること間違いなしです。


サンテグジュペリの本

やはり、「奇跡」と言ってはずせないのはサン=テグジュペリの本です。
上に出したリチャード・バックも、彼の影響は確実に受けているものと思われます。
(宮崎駿がバックの影響を受けているという噂もあるけど、そうではなくサンテグジュペリの影響を受けたものでしょう)
有名過ぎて紹介するまでもない名作ですが、『星の王子さま』って読みましたか?
もし子供の頃に読んだ記憶がボンヤリとしかないなら、ぜひ大人になって読み返してください。
これは意外にも大人になってから遭遇する奇跡の物語であり、大人であるからこそ涙出来るはずです。




2015年1月5日


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