読書備忘録 “いつも傍に本があった。”

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恋愛小説として読む夏目漱石 おすすめ作品5選

  明けましておめでとうございます。お正月休みに日本文学に親しむのは、いかがですか?

「文学なんて難しい」と思うかもしれませんが、意外に夏目漱石などは現代人にも馴染みやすい恋愛小説を遺しています。
いつの時代も人を悩ませ、惹きつけるのは恋愛の苦悩なのですね。
苦い思い出のある大人はもちろん、これから恋をする若い人たちへお奨めの漱石作品をご紹介します。


☆下記「漱石作品」リストは画像を表示するため楽天リンクをお借りしていますが、電子書籍なら無料本があります。お手持ちの電子書籍アプリでタイトル検索してみてください。

三四郎


熊本の高等学校を卒業して、東京の大学に入学した小川三四郎は、見る物聞く物の総てが目新しい世界の中で、自由気侭な都会の女性里見美禰子に出会い、彼女に強く惹かれてゆく…。青春の一時期において誰もが経験する、学問、友情、恋愛への不安や戸惑いを、三四郎の恋愛から失恋に至る過程の中に描いて「それから」「門」に続く三部作の序曲をなす作品である。
漱石の小説は、『猫』よりも『坊ちゃん』よりも、『三四郎』から入ったほうが良いのではないかと私は思います。恋愛小説こそ漱石の真髄だと思うからです。

 「田舎の青年が東京へ出て来て都会の女に恋をする」。
一言で『三四郎』のあらすじを言えばそうなりますか。現代ならありふれた恋愛小説なのですが、漱石の筆は描写の巧みさ的確さで登場人物の人生を疑似体験させてくれます。
みずみずしい青春を生きていた三四郎が、恋の苦さを知って少しずつ心に深みを持っていく。明るい『坊ちゃん』には共感できなくても、悩む三四郎には共鳴する人が多いのでは。
王道の恋愛小説、傑作です。


それから


長井代助は三十にもなって定職も持たず、父からの援助で毎日をぶらぶらと暮している。実生活に根を持たない思索家の代助は、かつて愛しながらも義侠心から友人平岡に譲った平岡の妻三千代との再会により、妙な運命に巻き込まれていく……。破局を予想しながらもそれにむかわなければいられない愛を通して明治知識人の悲劇を描く、『三四郎』に続く三部作の第二作。
アマゾンより
『三四郎』は若者の恋愛でしたが、『それから』は文字通りもう少し大人の恋愛です。十代・二十代前半より、もう少し上の年齢となってから読むのをお奨めします。(そう言う筆者もかなり若い頃に読んでしまったので、いずれ再読するつもりです)

現代では安い昼ドラになってしまいそうな設定でも、漱石の的確な筆で描かれると人物の心理を体験する実験に参加させられているようで、一緒に苦悩せずにはいられません。言わば高等な人生VRです。
陰鬱とした文章であるため好みは分かれるでしょうが、日本における最高峰の恋愛小説をぜひ一度ご堪能あれ。



親友の安井を裏切り、その妻であった御米と結ばれた宗助は、その負い目から、父の遺産相続を叔父の意にまかせ、今また、叔父の死により、弟・小六の学費を打ち切られても積極的解決に乗り出すこともなく、社会の罪人として諦めのなかに暮らしている。そんな彼が、思いがけず耳にした安井の消息に心を乱し、救いを求めて禅寺の門をくぐるのだが。『三四郎』『それから』に続く三部作。
「恋愛小説」としては少々苦過ぎる、もう老境に入った夫婦の話。
若者が思い描く恋とはかなりかけ離れていますが、これもまた恋の行方の一つではあります。

人生の陰を鬱々と描き込む筆に、私はどうしても『こころ』の描写と重ねてしまうのですが、『こころ』のように派手な(衝撃的な)展開はありません。
ストーリーの展開だけを求める人にはお奨めできない小説と言えます。ただ『それから』を味わうことができた読書人には、『門』も読み応えのある一級品と感じられるでしょう。


虞美人草


大学卒業のとき恩賜の銀時計を貰ったほどの秀才小野。彼の心は、傲慢で虚栄心の強い美しい女性藤尾と、古風でもの静かな恩師の娘小夜子との間で激しく揺れ動く。彼は、貧しさからぬけ出すために、いったんは小夜子との縁談を断わるが……。やがて、小野の抱いた打算は、藤尾を悲劇に導く。東京帝大講師をやめて朝日新聞に入社し、職業的作家になる道を選んだ夏目漱石の最初の作品。
文章表現が漢文から口語へ移り変わる時代、絶妙なバランスを取りながら両者の表現を混在させる漱石の文。この表現が恋愛小説に向く。二つの表現の間を巧みに行き来する筆致が、揺れながら恋を謳歌しようとする心に似ているからか?

漱石が流行小説家として生きることを決めた直後に書かれた作品だけあって、ストーリーは大衆向けなのかもしれません。やはり漱石の文章でなければ安い昼ドラの脚本に堕ちていたでしょう。
この話を一流の恋愛小説に仕立てているのは、超絶に巧い文章表現です。話の筋はともかく私は『虞美人草』が好きです。文体そのものに色っぽさを覚える、稀有な恋愛小説と言えます。

薤露行(かいろこう)


JohnAtkinsonGrimshaw.jpg ※画像はジョン・アトキン・グリムショー『シャーロットの乙女』

 『こころ』『行人』『彼岸過迄』等々、愛の苦悩を描いた名作は数多くあるのですが、重過ぎるのでまた別枠でご紹介します。
代わりに漱石作品の中ではあまり有名ではない短編小説、『薤露行』をここに置いておきます。

漱石だけではなく日本文学全体でもめずらしい、西洋を舞台とする小説。題材はなんとあの『アーサー王』です。
アーサー王の家臣ランスロットは、王の妃と不義の関係にあります。この西洋では有名な三角関係を漱石流の解釈で描いたのが『薤露行』。王妃とランスロットの報われない愛、ランスロットの妻の切ない想い、死に行く美しい乙女……等々に『三四郎』からの三部作や『虞美人草』を想起して眩暈を覚えます。
なお、「薤露行」とは「人生は薤の葉の上の露がすぐに乾くように、あっという間に過ぎ去ってしまう」という意味の歌。古代中国(漢代)、貴族の葬送歌です。漱石は報われない乙女たちの恋へ「薤露行」を捧げたのでしょう。このセンスだけでも惚れ惚れします。



――ああ、書いていてむしょうに漱石を読み返したくなりました。
ご紹介しておいて何ですが、筆者にはしばらく漱石文学を貪る時間がありません。
またいつか漱石に溺れるほどの暇が得られることを夢見ます。

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三浦しをん『船を編む』感想(本)


大手出版社の玄武書房、辞書編集部を率いる荒木は、定年間近となり最後の大仕事に傾注していた。その大仕事とは、次代の辞書編集部を担う優秀な人材を探して引き抜くことだった。
辞書を作る仕事は特殊で、監修の松本先生曰く
「気長で、細かい作業を厭わず、言葉に耽溺し、しかし溺れきらず広い視野をも併せ持つ」
者でなければ務まらない。
今の時代にそのような若者が、はたしているのだろうか。
人材探しは難航し、社内の隅々を訪ね歩き若い部下の話も聞いた末、ようやく巡り合ったのが真面目――ではなく馬締(まじめ)光也。
院卒の二十七歳、築数十年の下宿先で本に埋もれて暮らしている変人だった。身だしなみに気を遣わず、恋人なし、会話も下手で営業部ではお荷物扱いされていた不器用な青年は、言葉にかける知識とセンスでは並外れていた。
かくして逸材馬締を得た辞書編集部は、新たな時代の言葉の海を渡る新辞書、『大渡海』の編集に乗り出す。……

先に映画を見て、今の時代には巡り合うことが難しい良質な物語に感動し、いつか原作を読みたいと思っていた。
最近、思い出してようやく読む。
これだけ映画と小説のイメージが大差ない物語もめずらしい。誠実に作られた映画だったのだなと知った。

映画も穏やかだったが小説はさらに繊細で温かい世界観だ。
登場人物も魅力的。恐ろしく美人なのに馬締と同じ変わり者、下宿先の大家タケさんの孫で、板前修業をしている香具矢。
辞書編集部に合わないお調子者ながら、根は優しく誠実な同僚、西岡。
戸惑いつつ入った辞書編集部の仕事に魅力を感じていく新人、岸辺。等々。
いわゆる「キャラが立っている」。マンガ化もされているらしいと知って、なるほどと思う。登場人物同士の会話文、関係が魅力的でマンガにも合っている。
映画を見た時はもっと硬い文体で書かれた小説をイメージしていたが、意外と軽さがあって読みやすい。「ライトノベルか?」と思う人もいそう。文学を期待して読む人には肩透かしかもしれない。
馬締の恋愛ストーリーも描かれていて、こういうところが若い女子人気を集めているのだろうと思った。
恋愛部分の話は苦手な人もいるはず。ただ、馬締の純粋な恋には心をつかまれる。気付けば馬締と一緒に落胆したり驚いたりしている自分がいて、懐かしい想いを味わった。
恋愛は冒険。意外とこれが現実に近いのだ(あの恋文はないが。でも、何かしら痛いことを必ずやっている)。一見普通の人でも、誰もが若い頃に心臓が止まるような恋の冒険をして家族を築いていくのだよな、と思い出す。

辞書作りの描写は地味ではあるが緊迫感がある。
馬締たちの辞書作りへ懸ける情熱、辞書作りという仕事の大変さが細かく描写されていて感動、驚嘆してばかり。私にはハードボイルドの小説より緊迫感があるように思えた。
たとえずっと室内の描写が続いても、言葉の説明ばかり並ぶ地味なページが続いても、志の高い大事業の話ほど緊迫感のあるものはない。
そう、こういう誠実な仕事の話が読みたかった。
お互いがお互いを思いやり、協力し合いながら優しく時が流れていき、日々の仕事へ真剣に向き合っていくうちやがて大事業を成し遂げる。
最後に来た道を振り返る馬締たちの場面に、「やはりこれはライトノベルでは無理だな」と思った。
軽く始まりながら、気付けば人生の重みを味わっている。
ページ数は多くないのに記憶へ刻み込まれる、素晴らしい小説だと思う。

個人的には、言葉の説明の箇所に心躍った。
さいぎょう【西行】 不死身の意味あり。西行が旅の途中で富士山を見ている姿が、絵の題材として好まれた時期があった。『富士見をしている西行さん』から、『西行=不死身』になった。
 等々の話は楽しい。まだ知らないことだらけだ。
それから馬締の住む築数十年の下宿、建物のほとんどを書庫として借り、本に埋もれる生活は「た……たまらない」と悶えた。羨ましい。ああいう部屋に住みたい。(さすがにうちは狭いし床が抜けるので、物理的に「本に埋もれて暮らす」ことはできない)
辞書マニアはもちろん、本好きにもたまらない一冊。

最後のこの箇所には共鳴し、感動した。日頃、分かりやすさを狙って軽い言葉を使ったり、注目を集めようとして刺激的な言葉を使ってしまう自分を反省。もっと言葉を大切にしなければならない。
 けれど、と馬締は思う。先生のすべてが失われたわけではない。言葉があるからこそ、一番大切なものが俺たちのなかに残った。
生命活動が終わっても、肉体が灰となっても、物理的な死を超えてなお、魂は生きつづけることがあるのだと証すもの――、先生の思い出が。
先生のたたずまい、先生の言動。それらを語りあい、記憶をわけあい伝えていくためには、絶対に言葉が必要だ。
馬締はふと、触れたことのないはずの先生の手の感触を、己れの掌に感じた。先生と最後に会った日、病室でついに握ることができなかった。ひんやりと乾いてなめらかだったろう先生の手を。
死者とつながり、まだ生まれ来ぬものたちとつながるために、ひとは言葉を生みだした。
……
俺たちは船を編んだ。太古から未来へと綿々とつながるひとの魂を乗せ、豊穣なる言葉の大海をゆく船を。



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春江一也『プラハの春』感想(本)

 2000年刊行の本。積読から引き出して読んだ。
 2016年読んだなかで最もはまった小説。

内容:
若き日本国大使館員の堀江亮介は、プラハ郊外で車が故障して困っていた女性を助ける。美しい女性に魅了された亮介だったが、会話の中で彼女が東ドイツ人であり「関わってはならない」ことを知る。しかし頭では分かっていながら運命に抗えず彼女へ惹かれていく。
1968年「プラハの春」の下で翻弄される愛を描いた小説。

著者は本物の外交官で、1968年にチェコスロバキアで起きた民主運動「プラハの春」を現場で経験されている。そのためプラハの街並みや人々の生活描写は細かく、地図と照らし合わせながら読むと実際に当時のプラハを歩いているかのように感じられる。
何より感動するのはその時その場にしか無かった時代の空気が生々しく描かれていることだ。
抑圧され人間らしい生き方を奪われた人々の暗く沈んだ生活。
ドゥプチェク政権となり、彼の語る自由路線が真実であると確信した人々が、花が開くように一気に希望を噴出させる様子。
その結果当然に惹き起こされる悲劇……、絶望。
これら歴史上現実に起きた事件の経緯が、一人の日本人の視点から細かく描写されており、当時の人々の情熱や絶望を追体験することが出来る。

体験記として出版することも可能だったろう。
でも個人的に私は、小説として描いてくれたことを有り難いと思う。
「空気感」は細かな風景描写、音や匂いの描写、人の内面の感情描写がなければ感じ取ることが難しい。だがそれらの描写は現実的な体験記では最小限に抑えられてしまう。
小説だけが、ふんだんな描写を可能にする。
だから小説はある一瞬に存在した「空気感」を缶詰にする最良のツールと言える。

著者の体験が小説として出版されたおかげで、読者の私は「プラハの春」を生きた人々とともに自由の風を嗅ぎ、凍り付く嵐に踏み躙られて泣くという経験をすることが出来た。
言論の自由が有ることの有難み、「ペンは剣より強し」の本当の意味を痛烈に感じることが出来たし、言葉の力を信じるチェコの人々への崇敬を抱くことになった。
また歴史の映像でしか見かけることがなく、よく知らなかったドゥプチェクについて人柄を知る機会を得た。
あの冷酷なファシズム※の下でさえ、自由のために孤独な戦いを挑んだ人がいたことに痺れるほど感動する。
ドゥプチェクは個人として戦いに敗れたのかもしれないが、結果として時代は彼に応え、大いなる勝利を得たのだと思える。

これはもちろん小説なので、大衆向けの恋愛ストーリーが軸となっていて安っぽく感じられる部分もあるが(もう少し描写を抑えれてくれたら文学的評価を得られたはずなのに残念)、小説として利益を回収するためには仕方なかったか。
それにフィクションとは言え、恋愛の部分もこの小説からは切り離せない要素に違いない。
恋愛も含めて、人と人との交流が歴史的事件を生きた人たちの「リアル」であるのだから。
我々は感情のない機械ではない。一人の青年が外国の街で生きていれば、恋愛や友情を経験せずにはいられなかったはず。事実そのものを書かなくとも、小説に昇華された経験のエッセンスはニュース映像以上の「リアル」を伝えてくれる。

この小説を読んで良かった。書いてくださった著者に感謝したい。


※ファシズム: ここでは広義、「暴力的な全体主義」「独裁政権」などの意味。『プラハの春』の中でカテリーナが社会主義国家を「ファシズム」と呼ぶ。

2016年11月18日筆


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谷崎潤一郎『春琴抄』紹介と感想


物語は二つの墓の描写から始まる。
「鵙屋(もずや)」という名家一族の墓から少し離れた空き地に建つ、通称春琴(しゅんきん)の墓。
その隣にひっそりと寄り添うように建つ小さな墓には「門人」と刻まれている。
小さなほうは「温井佐助(ぬくいさすけ)検校」の墓だった。検校(けんぎょう)とは尊敬される高位の音曲家のことだが、その地位にも関わらず何故に小さな墓であるのか。何故に「門人」と刻まれているのか。

語り手は、
此の墓が春琴の墓にくらべて小さく且(かつ)その墓石に門人である旨を記して死後にも師弟の礼を守っているところに検校の意志がある。
と説く。
さらに
奇しき因縁に纏われた二人の師弟は夕闇の底に大ビルディングが数知れず屹立する東洋一の工業都市(大阪)を見下しながら、永久に此処に眠っているのである。それにしても今日の大阪は検校が在りし日の俤(おもかげ)をとどめぬ迄に変ってしまったが此の二つの墓石のみは今も浅からぬ師弟の契りを語り合っているように見える。
と描写される。
美しくミステリアスな描写で始まる師弟の物語は、二人の出会いへ遡り紐解かれていく。
裕福な商家に生まれ、類まれな音曲の才能と美貌に恵まれた春琴は不幸にも九歳の時に眼の病で視力を失った。
盲目となった彼女の世話をしていた丁稚(でっち)の少年が佐助だった。佐助は彼女の付き添いで琴や三味線の稽古へ通ううち、彼自身も音曲に魅了され、夜中に押入れに隠れて三味線の稽古をするようになる。
やがて佐助も音曲の稽古を許されて春琴の弟子となる。ここから春琴とは主従だけではなく師弟ともなり、絶対的な上下関係のもとサディスティックな愛の日々が始まる。

どれほど折檻を受けても我がままを言われても、甲斐甲斐しく春琴に仕え続ける佐助。
佐助はひたすらに春琴の美貌を崇め平伏すばかりだ。 
結婚もしないまま二人の関係は続いていくが、ある日再びの不幸が春琴を襲う。
その時、佐助がとった行動は衝撃的なものだった――。


美しい者に支配され尽くしきる者だけが到達する「悦び」。
佐助は、虐げられ振り回されることで燃えるマゾヒストの標本のような人だ。ただし尽くす主人は美しくなければならないと仰る、笑い。実は最高の我がままさんだ。

この小説のストーリーを大真面目に受け取り、
「究極の純愛!」
「素晴らしい! これこそが愛!」
と本気で思える人は中学二年生と同じくらい純情と言える。
普通の大人は、
「はいはい。そういうの、お好きなんですね」
と苦笑して受け流す。
あるいは、好きな側の人なら大歓迎してこのシチュエーションを受け取るだろう。

おふざけに怒ってはいけない。作者も「分かっている」年代の「分かっている」人向けに書いているのだ。
「好きな人はどうぞ、はまってください。こういうの苦手な人は、お互い大人なのだから笑って許してね」
とニヤつきながら書いている姿が目に浮かんで愉しい。

しかしそんなマニアックな趣味を、大衆受けする下品な表現ではなく超絶に優れた文章技法で描いていることに痺れる。
「耽美小説」
と呼ばれるのだが、真に耽美なのは内容ではなくて文章そのものだ。
「官能」
も、エロティックな物語の設定ではなく文章にこそある。

これは性表現によらず、純然たる文章技術で「官能」を提供できるという遥か高みのお手本と言える。
「官能」は「感応」だ。
この文章によって刺激された脳のどこかが確かに反応する。精神を愛撫する究極のエロスである。
繊細な菓子を口に含んだ時に似ているか。さほどの栄養はないのだが、仄かな舌触りと香りは記憶に残り永く精神を刺激し続ける。
句読点や段落を省いた実験的な文章であるのも、文章そのものに感じてもらいたかったからだろう。
もしかしたら設定からエロティックさを抜いて、ストーリーとは無縁の「文章官能」を創られていれば学者に正しく伝わったかもしれない。
でもそれでは小説として「耽美」や「官能」の看板が立てられない。事実、ただの実験小説になってしまって、一般読者を得ることは難しかったのだろう。

それに計算かどうか分からないが、実は設定も入れ子構造で「感応」となっている。
佐助は春琴を眺め崇拝しているうちに春琴そのものになりたいと願う。春琴との一体化を夢見ている。
文章と読者の関係と同じく、佐助も春琴に「感応」しているのだ。

また作者自身がこのような趣味をお持ちだった、ということも事実らしい。
私生活で彼は美しい名家のお嬢様と
「春琴ごっこ」(厳しい女師匠に仕える下僕ごっこ)
を愉しんでいて、後に彼女と結婚している。
要するに自分の趣味全開で設定を愉しみながら書いたのか。だから読んでいて佐助が幸せそうにも感じられるのだな。
「ご馳走様」
と言いたくなる。

他の耽美小説は後味の悪さが残るのに、谷崎の小説には爽やかさすら感じる。それは作者の私生活にほのぼのした愛があったからだろう。
一歩引いたところから眺める冷静な語り手の視点には、「ごっこ」を「ごっこ」として愉しんだ、作者の大人な人格が感じられる。
耽美に溺れているだけのお子様小説とは違う高等な大人の「耽美小説」である。

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たまにはビターな恋愛小説でも。大人の恋愛小説7選

あまり恋愛小説を好んで読む人間ではないのですが、適当に手に取った本が恋愛小説で、気付けば読みふけっていることが時々あります。
甘いものよりもビターなほうが好みです。
ここに、そんな私が偶然出会って良かったと思う数少ない恋愛小説をまとめておきました。
(他記事と重複あり)

ナラタージュ




高校時代の男性教師との、痛みを伴った恋愛。
執筆した著者の時間がまだ主人公と近いせいか、恋愛の痛みが現実そのまま写し取られており、小説というよりは風景を撮影した写真に近いのではと思うほどです。
だらだらと日常生活を描く箇所がありそれを嫌がる読者もいそうですが、そのような日常を描いたのも「現実そのままの描写」を求めた著者の想いからと感じられます。
写真である故、恋の思い出はリアルで痛々しい。まるで主人公自身が思い出語りをしているかのような、瑞々しく素直な表現は胸に迫り恋愛の痛みや愚かさを思い出させてくれます。
もちろん男にとっても、これは思い当たる苦い過去を蘇らせてくれる小説と思います。(男はむしろ恋愛の醜さに目を背けたくなるかもしれません)


夜の果てまで



主婦と大学生の不倫。そしてその果ての逃避行。
こうしてストーリーを紹介するとあまりに陳腐ですが、この小説はリアリズムを究めるために描かれたものと思います。
並みの小説家が芸術家ぶってぼかしたがる風景、時代の描写が徹底して細部まで書き込まれ、そのために時代の薫りや空気感まで迫って来るように感じられます。
そのリアリズムを究めた筆が容赦なく、恋愛の「現実」を描き出す。
甘いだけではない、重く痛い現実がここにあります。痛い過去を思い出して傷をえぐられるような想いをする読者は多いはず。
ただ、どちらかと言うと男性向けの恋愛小説となるでしょうか。
レビューを見るとあまり女性には受け入れられていないみたい(設定から生理的な反感を覚えるらしい)なので、女性は注意してください。


切羽へ



離島で、物静かな夫と暮らしている女性教師が新任教師と出会い、心揺さぶられる……。
この設定だけでもうストーリーは想像出来るでしょうか。陳腐なロマンスを求める読者のご期待も裏切らない気がします。
しかしタイトルに『切羽へ』とある通り、実はこの小説で描かれているのは崩壊の危機感です。
主人公は日常に満足していたはずなのに、気付けば先のない「切羽」へ誘われ追い詰められて行きます。日常の水面下で繰り広げられる音のない戦いが、ぴりぴりと肌を刺すように感じられます。
(もはや恋愛小説の読み方ではないか、笑)
この真剣勝負に精神的エロスを感じる人もいるでしょう。


静かな爆弾



公園で知り合った女性は耳が不自由だった。そんなことなどお構いなく心と心が次第に通っていき、温かな恋愛が始まり、やがて普通の恋人同士となるが……。
甘く心温まる恋愛小説と思わせて、実はそうではありません。これもリアリズムを求めた小説です。人間同士の付き合いの難しさ、人間性の根源を垣間見せてくれます。恋だの愛だのだけでは満足出来ない大人に、読んでいただきたい作品です。
何が巧いって、このタイトル!
読んでいくとタイトルの巧さに感嘆してしまいます。
ラストはもしかしたら作者の意図とは違ったかもしれませんね。ドラマ化を意識したのか、世間の反感を意識したか。いずれにしても現代作家の置かれた難しい立場を感じて、妙に複雑な気分になりました。

東京タワー



年上の主婦と不倫している男子学生の日々。
彼女と話を合わせようとして、彼女の好きな音楽を聴いたりするなどの必死さが痛々しく切ない。
主導する側ではなく、常に「飼われる」側である受け身の切なさがリアルでした。
決して甘い気分にさせてくれることはありません。これもリアリズムの小説。受け身側(つまり犠牲者)としての痛みが巧く描かれた小説です。
同じ経験のある方はきっと涙し、癒されるのではと思う。
(筆者はこのような経験はありませんが、何故か生贄としての完全受動の精神は共鳴するものです。おそらく、年上の人々がいなくなり「置いて行かれる」というどうしようもない立場もこれに近いのかな)

私の男



恋愛とは程遠いシチュエーションなのかもしれない。でも、これも愛であろう。
同じ桜庭一樹の『砂糖菓子の弾丸は撃ちぬけない』で描かれた、「好きって絶望だよね」を被害者側の視点から(身体的虐待を抜いて)ストーリー化した小説のような気がします。
筆者はだんぜん『砂糖菓子』の友情のほうが好きなのですが、これもまた痛々しい一個の愛情物語です。


VOICE



『いま、会いにゆきます』で有名な市川拓司(たくじ)氏の処女作です。ストーリーは失礼ながら細かいところを忘れてしまったので紹介文を引用させていただきます。
【内容情報】(「BOOK」データベースより)
高校生の悟はある日、隣のクラスの裕子の心の声を聞くという不思議な体験をする。その後、偶然、近くの森で出会った二人はお互いの境遇を語り合ううちに惹かれあい、付き合うようになった。しかし、悟は受験に失敗。彼女は東京の女子大に進学することに。距離のできた二人は、それでも共鳴しあう心がお互いを強く結びつけていたが、次第に彼女は新しい世界を広げてゆく。やがて、彼女の心の声が聞こえることが悟を苦しめてゆくことに…。ベストセラー作家、市川拓司が儚く壊れやすい恋愛を描いた珠玉の青春小説。
『いま会い』は心洗われる夫婦愛の小説で素晴らしいと思いましたが、個人的に小説としてはこちらのほうが素晴らしいと思いました。
瑞々しく純粋な表現の一つ一つが胸に響きます。(ストーリーよりも、その文章で描かれた心の襞に)
もし小説について「芸術」という言葉がまだ許されるならこの小説に言いたくなります。
文学賞で強要される小説作法の、なんて無意味なこと。現代日本の誰が決めたか知らない「小説作法というルール」で篩にかけられなかったからこそ、この芸術が生まれたのだと感じます。
これほどにも美しい表現の小説は日本ではもうお目にかかれないでしょう。

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佐藤正午『5』感想(本)


「最近、くだらない恋愛小説が流行っているなぁ。ちっ、読者も作家もバカばっかり」
世相を眺め苛々したベテラン作家が、露骨な皮肉をもって「大人の恋愛小説とはこう書くんだよ」と提示した作品。
恋愛小説と言いながら、愛はないのでご注意を。何故かSF小説になっている。(そのことでSFも皮肉っている)
良い意味でも悪い意味でもアイロニーに溢れている。
【内容情報】(「BOOK」データベースより)
「憶えてるよ」僕は正気を取り戻した。「スープも人の感情もいずれ冷めてしまうという一行だね」「本気で書いたんでしょう?」「本気だよ」「必ず冷めるもののことをスープと呼び愛と呼ぶ」「真理だ」「その真理がくつがえるんです」。洗練された筆致と息をつかせぬリーダビリティで綴られる、交錯した人間模様。愛の真理と幻想を描いた、大傑作長編。

冷めないスープはない、止まない雨はない。当たり前。
 永遠という言葉を“冷めないスープ”というそのままの意味に受け取り、過剰反応し、「永遠なんかあり得ない!」とヒステリーを起こしていた女性がいたっけ。その人のスープはきっと冷めたのだろうな。

自己陶酔の語りに酔っているかと見せかけて、実は完全しらふの文と感じます。ストーリーは緻密、完成している。
 古典的なSF小説に、文学(私小説風な語り)が織り交ぜられた感じ。だからストーリー性ある小説として読むのも面白いかと。

ただストーリー、だけじゃないところが良かった。ダラダラ愚痴のように書かれた“作家”の語りは退屈だけど、この小説の最大の味わいもその愚痴部分でしょう。
 退屈でも、人が腹の中のもの見せてくれるのっていいよなと思う。
“エンターテイメント至上”と言って、ストーリーだけの小説を大人が読んで何の意味があるのだろう?(大人が目新しい設定に出会う機会などあり得ないというのに)

2010年9月20日
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盛田隆二『夜の果てまで』感想(本)



2009年読。
リアリズムに圧倒されました。
こんな小説を書けたらなぁ。
【ストーリー】
コンビニでバイトしている大学生の主人公は、いつも夜中に来る女性客の万引き行為を目撃していた。
チョコレートのM&Mをポケットに入れて持ち帰るので「Mさん」と呼んでいたその女性は、年上なのだろうが魅力的だった。
たまたま入ったラーメン屋に「Mさん」がいた。その店の主人の妻だった。
その後、主人公はラーメン屋の息子の家庭教師として雇われ、彼女の家に出入りするようになる。
次第に接近して行く主人公と年上妻……。
 以上、あらすじを書いてしまえば陳腐なご都合主義に思える。
大学生の主人公と“不倫相手”の年上女性にはあまり共感するところはない。
恋愛と言うよりは欲望。道義的にも納得はいかない。

 ストーリーしか見えない人はこの時点で「陳腐過ぎる」「くだらない」と切り捨ててバカにしてしまうでしょう。
甘い恋愛小説を期待して手に取った人は裏切られた想いで本を床に叩きつけるかもしれない。
でも、現実の恋愛は往々にしてこんなもの。
欲で惹かれ合って欲に堕ちていく。そして這い上がれない落とし穴の底に突き落とされる。
たかが、欲。されどその欲が人生を激変させる。
くだらない一時の熱のために、確かにあったはずの未来が幻と消える。
この冷徹なリアリズムが痛い。
現実がいかに陳腐で滑稽か、醜悪かということを淡々と記録するかのように描き出している。
さらに絶大な効果を発揮しているのは仔細に描写されている背景だ。
小説に設定された当時そのままの街並み、音楽、会話が描きこまれている。
 特に会話のリアリティには驚愕させられた。当時の中学生の喋る内容まで正しく再現されている。
このように固有名詞を大量に書き並べ、会話まで忠実に再現することは小説としてあまり良くない技法と言われる。
 フィクションであるはずの世界が現実に絡め取られてがんじがらめとなり、読者に空想する隙を与えなくなってしまうからだ。
けれどこの小説の場合、仔細に現実の背景を描き出したことが逆に読者自身の記憶を呼び覚まし、空気の匂いまで立ち昇らせる効果を出している。
こうすることで主人公の気持ちさえも景色に投影させ、表現しているわけだ。
 (気持ちはあえて描写しない。代わりに景色を細かく描いて読者の心に呼び起される感情で表現する)
宮崎駿のアニメーションで背景が緻密に描かれていることを思い出させる。
現実の景色を緻密に描くことによって、空想世界の広がりではなく観ている者自身の記憶世界へ誘う。
すると世界の匂いや風まで感じられる、あの効果。
小説で空気感まで立ち昇らせるというのは凄まじく細かい仕事をしているということ。
地図はビル名など細部まで読み込み、実際にその年代の人々が話している声を録取し、文化風俗(ゲームやアニメ、音楽等々)を記録する。再現するにも神経を遣う。
単純にそのことだけでも凄い作家と思った。職人技だ。
 この技術を受け取るには、読者のほうにも少々経験値というスキルが要るだろう。
まずこの小説の描写から記憶を再現する経験が必須と思う。
つまり決して子供向きではない。
自身の“記憶”を読むことが出来る大人向きの小説、と言える。

ちなみに私がこの小説で最も共鳴、と言うか凄みを感じたところは主人公が就職を棒に振って「どうしようもない」生活へ堕ちて行く過程で、ぼんやり空を眺めている場面。
景色に投影して主人公の(彼自身でも気付いていない)心裡が描かれていた。主人公と同じ状況に置かれたようで、ある意味、ホラーより恐ろしい背筋が寒くなる場面だった。人が瞬間的に殺されるのではなく、ぬるま湯に浸かって死んで行くのだ。
似たような気持ちを経験したことのある人間として、よくあんな恐ろしい場面を描けたものだと尊敬した。

//アマゾンのレビューを読んでいると、極端に評価が分かれる。
女性は生理的嫌悪を覚えるようで。(それはそうか)
ともかくストーリーだけ読めばこんな設定はくだらないのは当然、だが現実全てくだらないのだし、こんなリアルな小説があって良い。
現実にはあり得ないシチュエーションの夢小説だけが世に溢れるほうが恐ろしい。


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島本理生『ナラタージュ』 感想(本)



重い、痛い、切ない。
覚えのある情景を目の前で映し出される。ようやく癒えたと思い込んでいた心の傷を、ふたたび抉られる……。
愚かしい恋をしたことのある人間なら、読むのが苦しい小説。
「ナラタージュ」~過去語り、というタイトルは嘘だろう。この小説はあまりにもその時に近い。

作家が小説を書くときは一度、現実の出来事を自分で飲み込んで消化する。(はずだと思う)
だからどのような小説の痛みも情景も、作家自身の色を持っている。
その色が現実よりも濃いか薄いかは作家の力量にかかっているのだけど、とにかく色を楽しむのが、小説という“芸術”の味わい方だろうと思う。
しかし、『ナラタージュ』ではこの消化作業が抜けている。
何のフィルターも通さず、起こった出来事を淡々と描写するだけ。
だからこれは“小説”とは言い難い。
インスタントカメラで撮った写真のようなもの。
だからこそ、もし同じような馬鹿げた恋愛をしたことのある人間なら、その場その時に連れていかれて胸がつぶれそうになる。
正直、読み終わって何も言葉が思いつかないほど私には辛かった。
現実はこんなにも辛いから、封印していたのだと思い出してしまう。

同じ経験をしなければ意味不明な小説かもしれない。ちょうど故郷の写真は自分には意味を持つけれど、他の人には無意味なように。

それにしても、なんという残酷な心理描写だろうか。どのような残虐シーンより目を逸らさなければならなかった。
男はいくつになっても馬鹿でくだらない。
そして女の人はそんな男を愛し恨みながら、地上でもっとも残酷なことをしてのけるのだ。
愚かでみっともない、これが恋愛。

2010年頃 筆

内容:
(「BOOK」データベースより)
お願いだから私を壊して、帰れないところまで連れていって見捨てて、あなたにはそうする義務があるー大学二年の春、母校の演劇部顧問で、思いを寄せていた葉山先生から電話がかかってきた。泉はときめきと同時に、卒業前のある出来事を思い出す。後輩たちの舞台に客演を頼まれた彼女は、先生への思いを再認識する。そして彼の中にも、消せない炎がまぎれもなくあることを知った泉はー。早熟の天才少女小説家、若き日の絶唱ともいえる恋愛文学。



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