『グノーシス~古代キリスト教の異端思想』(筒井賢治著,講談社選書メチエ)
より引用
にもかかわらず、正統多数派教会は、正典の内容的な統一性には目をつぶり、ひいては教義の一貫性を犠牲にしてまでも、伝統にしたがって現行の二七文書をそっくり飲み込んだ。マルキオンは、福音の純粋性にこだわって伝承を選別し、なおかつテキストのレベルでも取捨選択をおこなった。それによってマルキオン聖書が成立し、マルキオン派教会が立ち上がった。しかし、この運動は長続きせず、西方ではおそらく五〇年程度しかもたなかった。他の二世紀のキリスト教流派、ウァレンティノス派やバシレイデ―ス派も、規範的な文書集を決めるということはしなかったけれども、やはりそれぞれの仕方で哲学的・理論的な一貫性や妥当性にこだわり、文書生産活動も積極的におこなった。しかし、その活動が世界の歴史に目に見える足跡を残すような規模まで発展することはなかった。結局、それぞれ、対極的に見れば、突発的で短期間の運動、つまり「異端」にとどまった。
これに対して多数派正教会はあくまで伝統を墨守した。もっとはっきりいえば、既成事実をそのまま追認していった。こうして、いわば、正統多数派教会は正統多数派でありつづけたのである。
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「正統」と「異端」の関係だが、歴史研究においてよくいわれるのは、この区別は事後的に成立するもの、つまり闘争に勝った側が「正統」を名乗って相手方に「異端」の烙印を押すのだということである。つまり、争いがおこなわれている現場においては、どちらが勝つかまだ決まっていなかったのだから、正統も異端もなかったのだということになる。もちろん、これはこれで正しい。しかし、少なくとも初期キリスト教史における正統と異端に絞って考えるなら、右に述べたように、もうひとつ別のアスペクトが浮かび上がってくる。つまり、多数派主義と純粋主義、もしくは伝統遵守派と理論優先派という対立関係が、(もちろん事後的な意味における)「正統」対「異端」の関係とかなり重なってくるのである。
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