「闇と光」とは、どちらが見える世界で見えない世界のことなのだろう?
我々が光として見ているもの、闇として意識しているものは、もしかしたら真実の世界では反転しているのかもしれない。
盲目の世界で育った少女は、何も見えなかったからこそ完璧に満たされていたことを後で知る。
「耽美小説というジャンルです。もしかしたらあなたは苦手かも」
と前置きされてご紹介いただいたのだが、いやいや。とても面白かった。
物語は、盲目の姫君レイアの少女時代から始まる。
レイアがまだ記憶もないほど幼い頃にクーデターが起きて、国王だった父は失脚し、父と二人で小さな別荘に幽閉されることになったらしい。母はクーデターの時に失った。世話係としてあてがわれた侍女のダフネは意地悪だ。ダフネから軽い虐待を受けているため、レイアは彼女に怯えている。
不幸な身の上だがレイアの世界は満たされていた。
優しい父がたくさんの美しい物語を読み聞かせてくれたから――。
中世欧州を思わせる古風な世界観とダークな描写がマッチして、物語世界にはすぐ惹き込まれた。先にある展開は完全なクーデターか、それとも逆転の王制復活か?
色々と展開を想像しながら読み進めるうちに、これは実は精巧なミステリーなのだと気付いてくる。
巷に溢れる安易な殺人事件ドラマとは一線を画す、正々堂々とした、とても高度な技術を使ったミステリー。
まるで著者から挑戦状を叩きつけられたようである。
まず、読者は主人公と同じ視点に置かれる。景色が見えず、状況が把握できない。
情報は父である王と、ダフネという意地悪で怖い侍女からしか得られない。
断片を繋ぎ合わせるようにして状況を読んでいく。時代はいつ? 国はどの辺り? ……次第に、意外と近代で、もしかしたら現代かもしれないと気付いていく。
最後に見せられる回答は、おそらく大半の読者にとって意外なものだと思う。
当たっていたら爽快感。
筆者は概ね当たっていたが、一点だけはずれた。さすがにあれは気付かなかった。
(ネタバレのため書けません)
他に細かいところで、個人的に盲目の少女が心の拠り所とする本のタイトルが嬉しいものばかりだった。
ヘッセ『デミアン』、日本の文学の数々、そしてグルグル回ってバターになる虎たちの物語。幼い頃の著者が本当に本好きだったのだなと感じられて嬉しい。
ただ私には、絵画や人の顔の美しさ、という見た目の「美」がよく分からない。そこはどうしても理解が及ばない。
それとヘッセ『デミアン』の読み方が自分とは恐ろしく違っていて驚いた。あまり驚いたのでその後、検索して女性のレビュアーたちが書いた『デミアン』の感想を読んでみたところ、やはり自分とは全く違うのだと知って衝撃だった。同じ小説を読んでも、こんなに違うものなのか。
(世界中の少年たちと同様、私はデミアンやシンクレールを自分に引き寄せて共鳴して読んだ。多くの女性は、観客として傍から眺めるらしい。例えば「デミアンってかっこいいよね」などと評価する)
この小説のラストの展開に共鳴できないのも、やはりそういうところか。
「愛」とはイコール「美」のことであり、恋慕の相手は美しい鑑賞物なのである。
その意味でこれは最終的に確かに「耽美小説」というジャンルに分けられると言えるだろう。だから思想の部分ではやはり共鳴できず、苦手なジャンルだったと言えるかもしれない。
とは言え小説としては掛け値なしに面白かった。
しばらく仕事用の読書しかしていなかった時期で疲れ切っていたため、久しぶりに小説を読み時間を忘れるという体験をさせていただいて、息抜きになった。
その後、ここから読書熱復活(笑)。大感謝。
2016年5月4日筆