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『虐殺器官』より引用

伊藤計劃『虐殺器官』より、気になった箇所を引用。


 ぼくは、ことばそのものがイメージとして感じられる。ことばそのものを情景として思い描く。この感覚を他人に説明するのはむつかしい。要するにこれは、ぼくの現実を感じる感覚がどこに付着しているかという問題だからだ。何をリアルと感じるかは、実は個々の脳によってかなり違う。ローマ人は味と色彩を論じない、という言葉があるのは、そういうわけだ。
 ぼくがことばを実体としてイメージできるように、「国家」や「民族」という抽象を現実としてイメージできる人々がいる。
P42-43
ことばに対する感覚、面白い。我々も言葉を見たり聞いたりした瞬間にイメージしているし、小説などではその世界を感じることができるけど、あえて強調して書くということはきっとイメージとは違うのだろうな。
おそらく自分と似たような、「共感覚」の一種なのだろう。
きっとこの感覚から作者は『虐殺器官』のアイディアを得たのだと思った。

忘却というものがいかに頼りないか、誰でもそれを知っている。夜、寝入りばなに突如遅いくる恥の記憶。完璧に思い出さずにいられるような忘却を、ぼくらの脳は持ち合わせていない。ひとは完璧に憶えていることも、完璧に忘れることもできない。
P71
本当に本当に、その通り。

「彼がよく言っていたわ……虐殺には、独特の匂いがある、って」
「匂い……」
「ホロコーストにも、カチンの森にも、クメール・ルージュにも、ぜんぶそれが張り付いてる、って。虐殺が行われる場所、意図された大量死が発生する国……そういうところには、いつも『匂い』があるんですって」
 虐殺の匂い。
 ジョン・ポールは過去の虐殺を調べているうちに、その匂いにたどり着いた。
「死体の匂い、とかそういうものじゃなさそうだね」
「そうね。彼なりの詩的表現なのだと思うわ。
P168-169
匂いか。分かる気がするな。

「眠りと覚醒のあいだにも、約二十の亜段階が存在します。意識、ここにいるわたしという自我は、常に一定のレベルを保っているわけではないのです。あるモジュールが機能し、あるモジュールはスリープする。スリープしたモジュールがうっかり呼び出しに応答しない場合だってある。物忘れや記憶の混乱はそのわかりやすい例ですし、アルコールやドラッグによる酩酊状態もまた、その一種です。こうして話しているいまだって、わたしやあなたの意識というのは一定の……こう言ってよければ、クオリティを保っているわけではない。わたしやあなたは、たえず薄まったり濃くなったりしているのです」
「『わたし』が濃くなったり薄まったり、ですって……」
 言葉の問題なのです、と医者は要った。「わたし」とは要するに言葉の問題でしかないんです、いまとなっては。
 (略)  どれだけのモジュールが生きていれば「わたし」なのか、どれぐらいのモジュールが連合していれば「意識」なのか。それをまだ社会は決めていないのだ、と。
P261-262
「わたし」を物の集合体として喩える。表現が面白いが、実存は絶望を呼ぶな。

 人間とは、ときに自分の命よりも、愛やモラルを優先させてしまうことができる、歪んだ生き物なのだ。利他精神で身を滅ぼしてしまうことのできる、そんな種族なのだ。
P290  
そうね歪んでるね。自分はその典型か。

 つまり、ここでは裏切りゲームがまだ有効なのだ。ゲーム理論的なシミュレーション・モデルの初期は確かに、愛他行為や利他行為といった特性を備えた個体よりも、いつも裏切って目先の利益を優先する個体のほうが生き延びやすい。モデルが複雑化するにつれ、そうした個体は淘汰されて、互いに協力関係にあり、互いを利する性格の個体による集合が増加し始めるが、この大地では複雑性がそこまで進行していないのだ。
 かつてはそうではなかったかもしれない。だが、この大地の倫理コードは、どこかの時点で一旦リセットされてしまって、シミュレーション・モデルはまだ充分な複雑さを獲得できない状態にとどまっているのだ。
P356
まさに現代はそういう状況。完全にリセットされてしまっている。しかも人口が増えているので大規模な悲劇が繰り返される。
我々が「古代」と呼ぶ世界は本当に古いのか、今いる時代のほうが野蛮へ逆行しているのではないか?

 われ地に平和を興(あた)えんために来ると思ふか。われ汝らに告ぐ、然らず、反(かえ)って分争うなり。
P359
聖書の一節を引用。
ジョン・ポールをキリストに喩える場面。

 世界はたぶん、よくなっているのだろう。たまにカオスにとらわれて、後退することもあるけれど、長い目で見れば、相対主義者が言うような、人間の文明はその時々の独立した価値観に支配され、それぞれの時代はいいも悪いもない、というような状態では決してない。文明は、良心は、殺したり犯したり盗んだり裏切ったりする本能と争いながらも、それでもより他愛的に、より利他的になるよう進んでいるのだろう。
 だが、まだ充分にぼくらは道徳的ではない。まだ完全に倫理的ではない。
 ぼくらはまだまだ、いろいろなものに目をつむることができる。
P382
ここで終わればリアリズムを保つことができたのだが、終わり方は陳腐だった。
わざとなのか文学に走る勇気がなかったのか、陳腐な商業エンタ-テイメントに逃げた。
でも陳腐なラストをこそ多くの現代人は「リアリズム!」と称賛するのだろう。そんな現実にこそこの物語の本当の結末が描かれていると思う。