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小説イントロで改めて確認した。昔の小説冒頭って、インパクトあったな

99人の壁、小説イントロが面白かった


『クイズ 99人の壁』という番組がある。
一般の人が、自分の得意ジャンルで99人の他の回答者と戦う、という壮絶なクイズ番組。
自分が最も詳しいはずの得意ジャンルで回答するのだから当然に勝てると思うはず。でも99人が相手だと難しい。

それで滅多に勝ち抜いて賞金獲得する人はいないのだけど、今日レギュラー化初で勝ち抜いた人の得意ジャンルが
「小説イントロ」
だったので面白く眺めていた。

「小説イントロ」とは、音楽のイントロのように小説冒頭文を聴いただけで何の小説であるか当てる、というクイズ。
流行歌を言い当てる普通のイントロとは違い、一般の誰もが当てられるジャンルではないので挑戦しようと思って眺めていた。

結果。
第一問目 「おい」の二文字で『蟹工船』だと答えられて自分で驚いた! 
……という自慢。失礼しました。笑

もちろん回答者さんも答えてらっしゃったが。
他に二人ほど分かった方がいたようだ。

蟹工船は特徴的だから文学好きなら答えられるよね。
だから凄いのは、「おい」の二文字で押す回答者さんの反射神経だと思う。
「おい地獄さ行ぐんだで!」
青空文庫https://www.aozora.gr.jp/cards/000156/files/1465_16805.html
から始まるので、「地獄」まで聴いてからでは読んだ人なら全員が答えられるだろう。

だけど私も、最近の小説は答えられなかったな。
回答者さんは古典文学から現代のエンタメ小説までイントロで答えられたので凄いなと思った。

私は又吉『火花』を読んでいるのに答えられなかった。笑
→筆者の『火花』感想
たぶん個人的にインパクトを感じなかったのか記憶に定着していない。


昔の小説冒頭のインパクトを再確認


ただこのクイズのおかげで、昔の小説はやはり冒頭からインパクトあったなと改めて分かった。
『蟹工船』もそうだし、有名どころで
国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。夜の底が白くなった。

川端康成『雪国』
とか
吾輩は猫である。名前はまだ無い。

夏目漱石『吾輩は猫である』
とか。

個人的に私が痺れたのは、太宰治『斜陽』。
 朝、食堂でスウプを一さじ、すっと吸ってお母さまが、
「あ」
と幽かな叫び声をお挙げになった。
この冒頭だけで「お母さま」の仕草や表情だけではなく、どのような家なのか、語り手の服装や容貌まで思い浮かべることができる。スウプや香水も薫る。つまり景色や薫りさえも一気に再現できる冒頭で、凄いと思った。
この小説は太宰が愛人の日記を剽窃して(パクること)描いたものなのだが、たとえ設定を剽窃したのだとしても、こういう小説文として表現し世の中に提供できることが才能なのだと思う。

※だからアイディアだけで著作権は取れず、文章表現や音楽表現をした人が著作権を持つことになる。佐村河内氏・新垣氏のゴーストライター事件は、この点で佐村河内氏が大きな勘違いをしていたことが問題だった。
ただしアイディアの質や量によっては共同著作者となるので独占は不可。また、実在の人の日記やブログなどを参考に創作する場合は、著作権またはプライバシー権侵害で法的問題になることがあるので注意。太宰の時代はそんな法的意識などなかったので被害者が文句を言うなど考えにも昇らなかっただろうが。
だから現代では、断りなく他人のブログをモデルに創作などしてはダメですよ。


昔の小説にインパクトがあったのは、熱があったから


昔の小説は冒頭からインパクトが凄かったという話へ戻る。

昔の作家は凄くて現代の作家はレベル落ちしている――などと決めつけるわけではない。

今は小説手法が出尽くしているから、なかなかインパクトのある小説を出すのは難しいということもあるだろう。
どんなにインパクトある冒頭を狙っても、何もかも過去にあった何かの小説のようになってしまう。

だけど現代、小説全体が技巧だけで組み立てられた、コンピュータプログラムのような薄味になってしまっていることは否めない。
そのため冒頭も中身もインパクトが無くて、記憶に残らずすり抜けて行くものが多いとは思う。
たとえば又吉の『火花』は現代小説にしては素直で濃厚なほうで、私は好みだったのだけど、やはりインパクトでは古典に及ばない。たくさんの小説を読み過ぎた人が、技巧に向き合って書くとこういうインパクトの薄い冒頭になってしまうのかもしれない。

現代小説でインパクトがあったのは、伊藤計劃『虐殺器官』。
グロいから引用はしないが、『虐殺器官』の冒頭文は久々に目が覚める想いだった。

記憶に残るインパクトある冒頭文と、記憶からすり抜けていく冒頭文。(内容のインパクトは冒頭に比例する)
――何が違うのか?
と言うと、やはり「熱」があるかどうか、なのだろうなあ。
ありきたりだけど。

昔の作家は小説執筆に「熱」を篭めていた。
小説は世の中で下等なものだと思われていて、バカにされていたので必死だったのだろう。
一文、一文、命を削る想いで熱を篭めて書いたからこそあれだけ濃厚な文学世界が生み出された。
それを今の人は「うっとおしい」と言ったり、命懸けの人を指差して「押しつけがましい」と嘲笑するのだが、感性がお粗末過ぎて残念だ。
(命懸けの人を指差して嗤う態度は、人としても最低の鬼畜)

伊藤計劃も、命を削って書いたのだ。文字通り。
だから冒頭から突き刺さる熱がある。
冷めているように見えて、冷たい炎が燃えている。

「命を削って、書け」
などと偉そうなことは私には言えず、やれと言われても今はもうできないのだけど、命が刻み込まれた文に価値があると強く主張したい。

技巧なんかでは他人の心は動かせない。
心だけが心を動かすのだと思う。

(もちろん、受け取り手の感じ取る能力も必要だが。現代人はこの心のポイントがゼロに近い人が多いのが絶望)


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