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司馬遼太郎『坂の上の雲』感想メモまとめ

 東洋の歴史物アレルギー持ちである私に、
「これなら近代でリアルだから大丈夫でしょ」
と言って相方がクリスマスに『坂雲』全巻をプレゼントしてくれた。
確かに、近代のリアルな戦争物なら読める。むしろ好んで読む。
『坂雲』は私の好きな明治以降の話だから気にはなっていた。
いざシバリョウ・デビュー。
読み始めたら思った以上にリアルだったため、はまったはまった。
考えが山ほど湧いて、様々なところに感想メモを書き散らしてしまった。
ブクログ・歴史館と散らかったメモをここにまとめておきます。
乱文ママなので読みづらいことご容赦を。

紹介。電子で合本が出ていたらしい。これ欲しいなぁ
※電子書籍です、注意※ 


紙本はこちら:

 

■2011年1月 読了時の感想 (ブクログで書いたもの)

爽快です。凄惨な戦争場面は辛かったが全体に前向きな力が溢れてくる。
リアルの話は面白い。細かい記録描写も全て丁寧に読みました。長く心地良い読書でした。
「感傷を軽蔑する」などと、まるで恋愛を軽蔑する中学生かのようなことを仰っていた司馬先生が書き終わった後は呆然としてしまったとのこと。この話に涙が出た。
これだけ膨大な記録を調べながらの執筆活動は人生そのもの、命を注がれたことでしょう。
素晴らしい作品を読めた幸せを噛み締めます。


■2010年11月 4巻について(同じくブクログにて)

しばらく途中で放置していたのですが、ドラマが放送される前に読みたいので慌ててまた読み始めました。

この巻は特に実際の記録を並べて著者がご自身の意見を延々と書くという、あまり小説的ではないスタイルに終始しています。物語性が低いので駄目な人は駄目だろうなあ。私は好きですが。

詳細な記述と熱い語り口に感じるところが多かった。
児玉さん、個人として素晴らしい。しかし国家全体では兵站という戦略の基本中の基本をおろそかにし、「現場で何とか出来る」という歴史小説的な妄想において全てを現場に押し付ける体質。苛々した。(この体質は現代まであらゆる分野で続いている)
士気を重視する乃木さんの態度には感服したが、ここまで来れば伊地知への信頼は失墜しているので彼を降ろさないことこそ士気に関わるだろうと歯噛みした。
露の狂乱についても事実は小説より奇なり。要はどっちもどっち、戦争をするレベル以前の問題。

近現代戦は武器だけとんでもなく優れているのだが、使う人間の組織に欠陥があったり、戦略の基本が抜けているような気がします。それで大量殺戮兵器を扱うのだからなお恐ろしい。

引用箇所、同意です。
 恐怖心のつよい性格であることは、軍人としてかならずしも不名誉なことではなく、古来名将やすぐれた作戦家といわれる人物にむしろこの性格のもちぬしが多い。人間の智恵は勇猛な性格からうまれるよりも、恐怖心のつよい性格からうまれることが多いのである。が、古来の名将といわれる人物は、それを自分の胸中に閉じ込め、身辺の配下にさえ知られぬようにした。それが統帥の秘訣であるだろう。


■歴史館の日記より。その1

10/01/03
再び『坂の上の雲』から。
日本人には「兵站」という概念がなかった、という話に心底驚いた。
「…日本人の戦争の歴史は、一、二の例外をのぞいてはすべて国内が戦場になっており、兵站というほどのものが必要であったことがない。強いて例外をもとめれば、豊臣秀吉の朝鮮出兵のとき、(略)」
<文春文庫(1)P233>

本当だ。近所でしか戦争経験のない民族。

だから戦争と言えば戦場で羽みたいなものをバサバサ振って隊を動かす、みたいな現場イメージしかないのだな。歴史の話になると陣の動かし方はこう、と現場知識ばかり誇らしげにひけらかしている。
なんてこった。
そのファンタジー頭のまま第二次大戦に突っ走り、“兵站”がいかに大事かも考えられず、大量の戦場での餓死者を出した……わけか。

涙。
戦うことも出来ず飢えで亡くなった方々、本当に気の毒に。

戦争の実務は兵站に始まり兵站に終わる、はず。
武具・兵器の調達から食料の確保、その輸送路確保。近隣諸国との水面下での根回し。
つまり、「戦争」=後方支援+政治。
実際、現場の戦場ですることなどほとんど無きに等しいと言って正しいはずだ。(と、私は思う)

日本人に戦争を教えようとやって来たドイツ人講師が頭を抱えたのも当然。
「戦場は、戦争そのものではない」 (※戦場は戦争のほんの一部の場面に過ぎない)
ということなど何度教えても日本人にはピンと来なかったに違いない。
いまだに大学の歴史学者ですら「戦場=戦争」だという前提で話をしているくらいだから。

日露戦争まではどうにか戦争を知識として叩き込むことが可能だったとしても、その後は伝統として根付いていかなかったのか。ドイツ人の直属の弟子たちが死んだら知識は潰えてしまった。
そのためにあの大敗。
民族に刷り込まれた思い込みを叩きなおすことは出来なかった、ということだ。

“戦場で羽などバサバサ振って戦う”という、
こんな阿呆なファンタジーを植えつけてしまった責任の一端は『三国志(演義)』にもあるな。
あれは庶民による庶民向け、素人による素人限定の物語。
すなわち書いた人間も戦争のド素人だ、という事実を割り切って読むべきだ。
(そう言う私も素人ですが)
大陸の人たちは割り切って読んでいるのではないかな?
『三国志』はあくまでも京劇用の台本。日本と比べて劇と現実物語との区分けが非常にきっちりしているように思う。
日本の場合、織田信長や豊臣秀吉の史実をもとにした逸話なんかとごちゃ混ぜになり、『演義』もほとんど史実と同等に受け取られて、現実とフィクションの区別がつかない人たちを大量に生み出してしまったのでは。

最も困ると感じることは、『三国志』を読んでいる人々には現実の戦争の知識がない。
そして現代戦争のプロたちは、『三国志』などの古典時代にほとんど興味がない(現実としては)。ということ。

だから『三国志』に現実が浸透していくことはついになく、古典信奉者たちはファンタジーを鵜呑みにして現実だと主張する……。
orz

これはきっぱり……日本人には戦争は向かない、と言うしかないのではないか。
少なくとも外国との戦争は無理、本質的に他国とは違う気がする。やめておくべし。やめておこう。

追記: 日本人は戦争に向かない代わりに和を保つ稀有な才能を持っている。他国のような無茶苦茶な暴君(私欲のエロと殺戮に突っ走った独裁者)を出したことが一度もない、これは奇跡。こんな国は他にないのだから。
戦争は日本人の性に合わないと知り、この民族の才能を良い方向に生かしていけたらと思う。


09/12/31

秋山真之は書生時代、「試験の神様」と呼ばれていたらしい。
(『坂の上の雲』情報)
彼は普段はろくに勉強しないのだが、ヤマを当てる天才だったため、いつも一夜漬けで試験を切り抜けていたそう。
友人に「どうしてそんなに当たるのか」と聞かれると、教師の立場で考える・過去のデータを分析する等々ありきたりのことを言いつつ、最終的にはやはり“カン”と答えたという。

どこでも似たような人がいるのだなと思う。ちなみに私も秋山氏と同様のタイプです、限りなくレベルは低いが;

この後の秋山氏の自己分析が面白かった。
「自分は要領が良すぎる」。
だから、学問は二流で終わるしかないと彼は言う。
そして結局、そんな「要領の良い」人間は軍人にでもなるしかないから、参謀への道を歩んで行く……。

唸ったね。それはそうなのかもしれない。

シバリョウ曰く、
「学者は根気とつみかさねであり、それだけで十分に学者になれる。一世紀に何人という天才的学者だけが、根気とつみかさねの上にするどい直感力をもち、巨大な仮説を設定してそれを裏付けする。真之は学問をするかぎりはそういう学者になりたかったが、しかし金がない。学問をするには右の条件のほかに金が要るのである」
金がない! 
そう、才能のほかに必要なのは金(環境)、これは絶望的な真理。
ただその絶望的環境が秋山を参謀職に導いたわけで、やはり運命はその人なりの道に向かうように仕組まれているのか。

追記:
にしても、近代はやはり面白い。
近現代好きなのは、エピソードが作り物ではない可能性が高いからです(たとえフィクションだとしてもリアルらしく感じられるよう気を遣われている)。それに近現代物はミニ情報が多いところがいい。たとえばヨーロッパで騎兵が創られたのはチンギス・ハーンの騎兵軍団に影響を受けたから、等という話など私には面白かった。

感想メモ2へ続く>>