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清野 栄一『テクノフォビア』感想(本)

 仕組まれている、と感じることがある。
 最近初めて知ったばかりのめずらしい名前を、その人物とは全く関係のない土地の、関係ない人たちの会話で耳にしたり。
 
 無関係なはずのシチュエーションの、文字や数字が一致したり。
それらは単なる、偶然の一致としか言いようがないものなのだけれど、幾度か重なると人はその一致に意味を感じ始める。  つまり膨大なデータの洪水の中から、運命を見出そうとするのだ。  清野栄一『テクノフォビア』で、システムエンジニアの卓也が携わるプロジェクトは、その「運命を見出す」作業に似ている。 <以下、若干ネタバレ含みます>  まず世界中の全ての人間の、ありとあらゆる個人情報を集める。その情報は揺り篭から墓場まで。どこで買い物をしたか、どんなDVDを借りたか、どこのベッドで眠りどんな性的趣向を持つか。テロリストも大統領もサラリーマンも主婦も、全ての人の行動が、単なる情報として抽出されまとめられる。  こうして集めた膨大な個人情報は無意味なデータの洪水に過ぎない。
 だが、ある目的を持って情報を繋げて行くと、偶然の一致が意味を持ち始める。
すなわち、「必然」となる。  膨大な個人情報から見出された「必然」は、企業にとってはマーケティングであり、国家にとっては支配である。
 この小説のプロジェクトは、ほとんど実現可能。いや、エンジニアやハッカーにとっては既に日常的な現実だろう。単に巨大な力で一つにまとめられていないという点でだけ、フィクションなのだ。
(とは言え、フィクションであると考えることも仮定に過ぎない。今現在、膨大な個人情報が誰かによってコントロールされていないと、誰が断定できるだろう?)  これはもはやユングの、集合無意識の理論。  神秘学的には高次の存在――マスターとか神とか守護霊とか何でもいいけど――がいて、この膨大な情報カオスの中から個々人の「必然」をコントロールしているという。  ユングの時代には想像でしかイメージ出来なかったけれど、今は実生活の人の営みで語ることが可能なのだな。
 人の生活は真理を映す。真理に向かって成長して行く。
ほとんどの人は真理の世界を感じ取らずに生きている。  自分の個人情報が漏れているのに鈍感な人たちのように、たとえ不自然な一致を見つけても 「たかが偶然の一致」
 と笑い飛ばす。
けれど比較的に敏感な人は、自分の人生が自分以外の存在によってアクセスされ、ログられていることを感じ取る。  ログられていることを感じ取ったなら、自分で自分の情報を追跡し、コントロールすることも可能かもしれない、と一部の人々は信じる。  それが神への祈りであり、呪術であり、運命転換のための様々な技術。    運命のコントロールは、きっとある程度は可能だろう。  しかし残念ながら完全にコントロールすることは出来ない、というのもまた真理。
 
何故なら、流れ出した情報は自己で回収出来ない。  そして未来は、不確定だからだ。  使われなかったIF文はどこへ行くのだろう。  宇宙のカオスで、永遠の眠りについているのだろうか。   *****    感想。
 面白い本でした。
サイバー犯罪か、それとも単なる偶然か、精神錯乱か。主人公がわけのわからない恐怖に追い詰められて行く物語に、先はどうなるのだろう?と引っ張られる。  途中いろいろ考えることの出来た、充実した読書時間だった。