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サン=テグジュペリ『星の王子さま』池澤夏樹訳 感想



池澤夏樹の新訳『星の王子さま』を文庫で手に入れた。
我ながら信じられないことに泣いてしまった。
初めて『星の王子さま』の物語が理解できた。この物語が長く読み継がれている理由も。

子供のころ一度だけ『星の王子さま』に挑戦したことがあったが、説教臭い子供騙しのファンタジーとしか思えず、すぐに放り出してしまった。(自分が子供だから、子供向けに意識された内容がよけいに嫌だったのだと思う)
今になってようやく『星の王子さま』を理解できたのは、訳がどうのというよりも、自分が大人になったからだ。

花の我がままに疲れて逃げ出したことのある大人。
逃げ出しておきながら、ほんとうは弱い花をいつまでも思い続けている大人。
他の何千とある同じ種類の花ではなく、たった一つの花でなければならない大人。
“飼いならされる”ということが身にしみて分かっている――飼いならされたあとにその相手を、失う痛みを知っている大人。

『星の王子さま』とは、そういう大人が書いた物語。
そして、そういう大人だけが深々と理解できる物語。

果たしてこれは童話なのか。
確かに大人が自分の人生から得た教訓を子供に伝えるためのものだと思う。
だけど、この物語は子供には分からない。分かりにくい。
分かりにくいからこそ、あえて未来に彼らが経験するだろうことを伝えるために、その時は誤まらないよう伝えるために書いたのかもしれないけど。
それにしても難しい。

この物語を
「子供の目から見た、汚い大人に対する批判」
と理解するのは残念ながら子供ゆえなのだな。
無傷なときには理解できず、過ちを経験した後にようやく理解できる。
つまり『星の王子さま』は、童話としては矛盾している。
また王子さまはイエス・キリストがモデルで、このストーリーは聖書の教えを伝えるためとの見方もあるけど、きっとそうではない。聖書はストーリーを考える時のモチーフに過ぎなかったと思う。
これすべてグジュペリが実際に生きて得たエッセンスを絞り出したもの。
だから同じ気持ちを持つ者が、切なくて何度も涙を流す。

インデストラクティビリティ。破壊しえない一つのもの。
童話としては矛盾しているけれど、『星の王子さま』はこれからもたくさんの涙を受け止め続けるだろう不朽の名作だ。

追記:訳文について。
池澤夏樹の文は、もともと私はとても好きなので文句なし。
このようなシンプルな物語を伝えるためには、シンプルな彼の文がとても合っていると感じた。
池澤夏樹は“静謐な文”と言われていて、日本の作家にありがちなくどさがなく、村上春樹のようなユーモア(嫌味っぽさ)もない。このため人によっては情緒がないと感じられるかもしれないが、『星の王子さま』にはこのように静かな文が向いている。いや、むしろこうでなければと思う。

2005年筆