あまり恋愛小説を好んで読む人間ではないのですが、適当に手に取った本が恋愛小説で、気付けば読みふけっていることが時々あります。
甘いものよりもビターなほうが好みです。
ここに、そんな私が偶然出会って良かったと思う数少ない恋愛小説をまとめておきました。
(他記事と重複あり)
高校時代の男性教師との、痛みを伴った恋愛。
執筆した著者の時間がまだ主人公と近いせいか、恋愛の痛みが現実そのまま写し取られており、小説というよりは風景を撮影した写真に近いのではと思うほどです。
だらだらと日常生活を描く箇所がありそれを嫌がる読者もいそうですが、そのような日常を描いたのも「現実そのままの描写」を求めた著者の想いからと感じられます。
写真である故、恋の思い出はリアルで痛々しい。まるで主人公自身が思い出語りをしているかのような、瑞々しく素直な表現は胸に迫り恋愛の痛みや愚かさを思い出させてくれます。
もちろん男にとっても、これは思い当たる苦い過去を蘇らせてくれる小説と思います。(男はむしろ恋愛の醜さに目を背けたくなるかもしれません)
主婦と大学生の不倫。そしてその果ての逃避行。
こうしてストーリーを紹介するとあまりに陳腐ですが、この小説はリアリズムを究めるために描かれたものと思います。
並みの小説家が芸術家ぶってぼかしたがる風景、時代の描写が徹底して細部まで書き込まれ、そのために時代の薫りや空気感まで迫って来るように感じられます。
そのリアリズムを究めた筆が容赦なく、恋愛の「現実」を描き出す。
甘いだけではない、重く痛い現実がここにあります。痛い過去を思い出して傷をえぐられるような想いをする読者は多いはず。
ただ、どちらかと言うと男性向けの恋愛小説となるでしょうか。
レビューを見るとあまり女性には受け入れられていないみたい(設定から生理的な反感を覚えるらしい)なので、女性は注意してください。
離島で、物静かな夫と暮らしている女性教師が新任教師と出会い、心揺さぶられる……。
この設定だけでもうストーリーは想像出来るでしょうか。陳腐なロマンスを求める読者のご期待も裏切らない気がします。
しかしタイトルに『切羽へ』とある通り、実はこの小説で描かれているのは崩壊の危機感です。
主人公は日常に満足していたはずなのに、気付けば先のない「切羽」へ誘われ追い詰められて行きます。日常の水面下で繰り広げられる音のない戦いが、ぴりぴりと肌を刺すように感じられます。
(もはや恋愛小説の読み方ではないか、笑)
この真剣勝負に精神的エロスを感じる人もいるでしょう。
公園で知り合った女性は耳が不自由だった。そんなことなどお構いなく心と心が次第に通っていき、温かな恋愛が始まり、やがて普通の恋人同士となるが……。
甘く心温まる恋愛小説と思わせて、実はそうではありません。これもリアリズムを求めた小説です。人間同士の付き合いの難しさ、人間性の根源を垣間見せてくれます。恋だの愛だのだけでは満足出来ない大人に、読んでいただきたい作品です。
何が巧いって、このタイトル!
読んでいくとタイトルの巧さに感嘆してしまいます。
ラストはもしかしたら作者の意図とは違ったかもしれませんね。ドラマ化を意識したのか、世間の反感を意識したか。いずれにしても現代作家の置かれた難しい立場を感じて、妙に複雑な気分になりました。
年上の主婦と不倫している男子学生の日々。
彼女と話を合わせようとして、彼女の好きな音楽を聴いたりするなどの必死さが痛々しく切ない。
主導する側ではなく、常に「飼われる」側である受け身の切なさがリアルでした。
決して甘い気分にさせてくれることはありません。これもリアリズムの小説。受け身側(つまり犠牲者)としての痛みが巧く描かれた小説です。
同じ経験のある方はきっと涙し、癒されるのではと思う。
(筆者はこのような経験はありませんが、何故か生贄としての完全受動の精神は共鳴するものです。おそらく、年上の人々がいなくなり「置いて行かれる」というどうしようもない立場もこれに近いのかな)
恋愛とは程遠いシチュエーションなのかもしれない。でも、これも愛であろう。
同じ桜庭一樹の『砂糖菓子の弾丸は撃ちぬけない』で描かれた、「好きって絶望だよね」を被害者側の視点から(身体的虐待を抜いて)ストーリー化した小説のような気がします。
筆者はだんぜん『砂糖菓子』の友情のほうが好きなのですが、これもまた痛々しい一個の愛情物語です。
『いま、会いにゆきます』で有名な市川拓司(たくじ)氏の処女作です。ストーリーは失礼ながら細かいところを忘れてしまったので紹介文を引用させていただきます。
瑞々しく純粋な表現の一つ一つが胸に響きます。(ストーリーよりも、その文章で描かれた心の襞に)
もし小説について「芸術」という言葉がまだ許されるならこの小説に言いたくなります。
文学賞で強要される小説作法の、なんて無意味なこと。現代日本の誰が決めたか知らない「小説作法というルール」で篩にかけられなかったからこそ、この芸術が生まれたのだと感じます。
これほどにも美しい表現の小説は日本ではもうお目にかかれないでしょう。
甘いものよりもビターなほうが好みです。
ここに、そんな私が偶然出会って良かったと思う数少ない恋愛小説をまとめておきました。
(他記事と重複あり)
ナラタージュ
高校時代の男性教師との、痛みを伴った恋愛。
執筆した著者の時間がまだ主人公と近いせいか、恋愛の痛みが現実そのまま写し取られており、小説というよりは風景を撮影した写真に近いのではと思うほどです。
だらだらと日常生活を描く箇所がありそれを嫌がる読者もいそうですが、そのような日常を描いたのも「現実そのままの描写」を求めた著者の想いからと感じられます。
写真である故、恋の思い出はリアルで痛々しい。まるで主人公自身が思い出語りをしているかのような、瑞々しく素直な表現は胸に迫り恋愛の痛みや愚かさを思い出させてくれます。
もちろん男にとっても、これは思い当たる苦い過去を蘇らせてくれる小説と思います。(男はむしろ恋愛の醜さに目を背けたくなるかもしれません)
夜の果てまで
主婦と大学生の不倫。そしてその果ての逃避行。
こうしてストーリーを紹介するとあまりに陳腐ですが、この小説はリアリズムを究めるために描かれたものと思います。
並みの小説家が芸術家ぶってぼかしたがる風景、時代の描写が徹底して細部まで書き込まれ、そのために時代の薫りや空気感まで迫って来るように感じられます。
そのリアリズムを究めた筆が容赦なく、恋愛の「現実」を描き出す。
甘いだけではない、重く痛い現実がここにあります。痛い過去を思い出して傷をえぐられるような想いをする読者は多いはず。
ただ、どちらかと言うと男性向けの恋愛小説となるでしょうか。
レビューを見るとあまり女性には受け入れられていないみたい(設定から生理的な反感を覚えるらしい)なので、女性は注意してください。
切羽へ
離島で、物静かな夫と暮らしている女性教師が新任教師と出会い、心揺さぶられる……。
この設定だけでもうストーリーは想像出来るでしょうか。陳腐なロマンスを求める読者のご期待も裏切らない気がします。
しかしタイトルに『切羽へ』とある通り、実はこの小説で描かれているのは崩壊の危機感です。
主人公は日常に満足していたはずなのに、気付けば先のない「切羽」へ誘われ追い詰められて行きます。日常の水面下で繰り広げられる音のない戦いが、ぴりぴりと肌を刺すように感じられます。
(もはや恋愛小説の読み方ではないか、笑)
この真剣勝負に精神的エロスを感じる人もいるでしょう。
静かな爆弾
公園で知り合った女性は耳が不自由だった。そんなことなどお構いなく心と心が次第に通っていき、温かな恋愛が始まり、やがて普通の恋人同士となるが……。
甘く心温まる恋愛小説と思わせて、実はそうではありません。これもリアリズムを求めた小説です。人間同士の付き合いの難しさ、人間性の根源を垣間見せてくれます。恋だの愛だのだけでは満足出来ない大人に、読んでいただきたい作品です。
何が巧いって、このタイトル!
読んでいくとタイトルの巧さに感嘆してしまいます。
ラストはもしかしたら作者の意図とは違ったかもしれませんね。ドラマ化を意識したのか、世間の反感を意識したか。いずれにしても現代作家の置かれた難しい立場を感じて、妙に複雑な気分になりました。
東京タワー
年上の主婦と不倫している男子学生の日々。
彼女と話を合わせようとして、彼女の好きな音楽を聴いたりするなどの必死さが痛々しく切ない。
主導する側ではなく、常に「飼われる」側である受け身の切なさがリアルでした。
決して甘い気分にさせてくれることはありません。これもリアリズムの小説。受け身側(つまり犠牲者)としての痛みが巧く描かれた小説です。
同じ経験のある方はきっと涙し、癒されるのではと思う。
(筆者はこのような経験はありませんが、何故か生贄としての完全受動の精神は共鳴するものです。おそらく、年上の人々がいなくなり「置いて行かれる」というどうしようもない立場もこれに近いのかな)
私の男
恋愛とは程遠いシチュエーションなのかもしれない。でも、これも愛であろう。
同じ桜庭一樹の『砂糖菓子の弾丸は撃ちぬけない』で描かれた、「好きって絶望だよね」を被害者側の視点から(身体的虐待を抜いて)ストーリー化した小説のような気がします。
筆者はだんぜん『砂糖菓子』の友情のほうが好きなのですが、これもまた痛々しい一個の愛情物語です。
VOICE
『いま、会いにゆきます』で有名な市川拓司(たくじ)氏の処女作です。ストーリーは失礼ながら細かいところを忘れてしまったので紹介文を引用させていただきます。
【内容情報】(「BOOK」データベースより)『いま会い』は心洗われる夫婦愛の小説で素晴らしいと思いましたが、個人的に小説としてはこちらのほうが素晴らしいと思いました。
高校生の悟はある日、隣のクラスの裕子の心の声を聞くという不思議な体験をする。その後、偶然、近くの森で出会った二人はお互いの境遇を語り合ううちに惹かれあい、付き合うようになった。しかし、悟は受験に失敗。彼女は東京の女子大に進学することに。距離のできた二人は、それでも共鳴しあう心がお互いを強く結びつけていたが、次第に彼女は新しい世界を広げてゆく。やがて、彼女の心の声が聞こえることが悟を苦しめてゆくことに…。ベストセラー作家、市川拓司が儚く壊れやすい恋愛を描いた珠玉の青春小説。
瑞々しく純粋な表現の一つ一つが胸に響きます。(ストーリーよりも、その文章で描かれた心の襞に)
もし小説について「芸術」という言葉がまだ許されるならこの小説に言いたくなります。
文学賞で強要される小説作法の、なんて無意味なこと。現代日本の誰が決めたか知らない「小説作法というルール」で篩にかけられなかったからこそ、この芸術が生まれたのだと感じます。
これほどにも美しい表現の小説は日本ではもうお目にかかれないでしょう。