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春江一也『プラハの春』感想(本)

 2000年刊行の本。積読から引き出して読んだ。
 2016年読んだなかで最もはまった小説。

内容:
若き日本国大使館員の堀江亮介は、プラハ郊外で車が故障して困っていた女性を助ける。美しい女性に魅了された亮介だったが、会話の中で彼女が東ドイツ人であり「関わってはならない」ことを知る。しかし頭では分かっていながら運命に抗えず彼女へ惹かれていく。
1968年「プラハの春」の下で翻弄される愛を描いた小説。

著者は本物の外交官で、1968年にチェコスロバキアで起きた民主運動「プラハの春」を現場で経験されている。そのためプラハの街並みや人々の生活描写は細かく、地図と照らし合わせながら読むと実際に当時のプラハを歩いているかのように感じられる。
何より感動するのはその時その場にしか無かった時代の空気が生々しく描かれていることだ。
抑圧され人間らしい生き方を奪われた人々の暗く沈んだ生活。
ドゥプチェク政権となり、彼の語る自由路線が真実であると確信した人々が、花が開くように一気に希望を噴出させる様子。
その結果当然に惹き起こされる悲劇……、絶望。
これら歴史上現実に起きた事件の経緯が、一人の日本人の視点から細かく描写されており、当時の人々の情熱や絶望を追体験することが出来る。

体験記として出版することも可能だったろう。
でも個人的に私は、小説として描いてくれたことを有り難いと思う。
「空気感」は細かな風景描写、音や匂いの描写、人の内面の感情描写がなければ感じ取ることが難しい。だがそれらの描写は現実的な体験記では最小限に抑えられてしまう。
小説だけが、ふんだんな描写を可能にする。
だから小説はある一瞬に存在した「空気感」を缶詰にする最良のツールと言える。

著者の体験が小説として出版されたおかげで、読者の私は「プラハの春」を生きた人々とともに自由の風を嗅ぎ、凍り付く嵐に踏み躙られて泣くという経験をすることが出来た。
言論の自由が有ることの有難み、「ペンは剣より強し」の本当の意味を痛烈に感じることが出来たし、言葉の力を信じるチェコの人々への崇敬を抱くことになった。
また歴史の映像でしか見かけることがなく、よく知らなかったドゥプチェクについて人柄を知る機会を得た。
あの冷酷なファシズム※の下でさえ、自由のために孤独な戦いを挑んだ人がいたことに痺れるほど感動する。
ドゥプチェクは個人として戦いに敗れたのかもしれないが、結果として時代は彼に応え、大いなる勝利を得たのだと思える。

これはもちろん小説なので、大衆向けの恋愛ストーリーが軸となっていて安っぽく感じられる部分もあるが(もう少し描写を抑えれてくれたら文学的評価を得られたはずなのに残念)、小説として利益を回収するためには仕方なかったか。
それにフィクションとは言え、恋愛の部分もこの小説からは切り離せない要素に違いない。
恋愛も含めて、人と人との交流が歴史的事件を生きた人たちの「リアル」であるのだから。
我々は感情のない機械ではない。一人の青年が外国の街で生きていれば、恋愛や友情を経験せずにはいられなかったはず。事実そのものを書かなくとも、小説に昇華された経験のエッセンスはニュース映像以上の「リアル」を伝えてくれる。

この小説を読んで良かった。書いてくださった著者に感謝したい。


※ファシズム: ここでは広義、「暴力的な全体主義」「独裁政権」などの意味。『プラハの春』の中でカテリーナが社会主義国家を「ファシズム」と呼ぶ。

2016年11月18日筆