この記事が「一流」や「二流」などと格付けしていることについて私はどうかと思うし、コメント欄を見ると同じ意見の批判が多い。
ただ、「一流」「二流」をビジネス的な地位や富ではなく、単純に教養の質と考えれば、当たっているところもある。
特に海外の読書人の読み方には共鳴する。
ただし、世界の一流の人を見ていて感じるのは、「優秀な人に限って、読書は肩肘張らず、気の向くまま好きなものを読むのが基本」ということである。
読書だからといって、毎回勉強になるものを大真面目に読む必要はない。大切なのは、「楽しく活字に親しむ習慣」をもっているかどうかだ。
適当に読んでいる雑読派の自分としては嬉しい。
「お前のことじゃないよ」と言われそうだが、勝手に喜ぶ。笑
>毎回勉強になるものを大真面目に読む必要はない
そう。
読書は勉強のためだけにするものではない。
自分は浅い教養しか持たず、とうてい世間の基準に追いつかないのだけど、読書の方向性は間違っていないのだなと感じて自信が持てた。
好きな本だけ読んでいるわけではないが
上記事から引用
その証拠に、私が尊敬する一流のリーダーたちには、じつはそこらへんの漫画や週刊誌を読んでいる人も驚くほど多い。
私も駆け出しのころ、「無理して『フィナンシャル・タイムズ』を読まなくてもいいよ。俺が隣にいなければ、どうせ『週刊SPA!』の袋とじの部分を、一生懸命切り裂いているんでしょ?」と尊敬する上司に言われたことがある。
その上司は業界の中でも高名な伝説のディールメーカーなのだが、読んでいる雑誌がいつも『ヤングマガジン』や『少年ジャンプ』、そして『週刊SPA!』なのだ。
もちろん、雑誌ばかり読んでいるわけではなく、しっかりした本もきちんと読んでいるが、「緊張と緩和」をうまく使い分け、週刊誌や漫画もバカにすることなく自然体で楽しんでいる。
世の中には「売れている本」「話題になっている本」ばかりを追いかけて読む人もいるが、一流の人ほど、「これはいい」という自分なりの価値観があり、その「主体性」に従って、自分が好きな本を堂々と読んでいるものである。
ああ……、「気の向くまま」「適当に」読んでいる雑読の人は好きな本だけ読んでいるわけではないが。
肩の力が抜けているために、傍から見ると「好きな本だけ読んでいる」と誤解してしまうのかもしれない。
(差別なく何でも読むので、中には嫌いなものも含まれる/思い入れがさほど強くない、肩の力を抜いているからこそ何でも読める。私だったら村上春樹など、苦手な本もけっこう読んでいる ※ただしどうしても読めない悪質な本はある)
この人の誤解はともかく、観察されている側の雑読者に私は共鳴する。
何故、読み物のジャンルを統一しなければならないのか理解できない。
マンガでも哲学書でも価値を見出す。そうでなければ活字中毒者ではないでしょう。
私は実は、売れている本・話題本ばかり追いかけて読んでいる人が苦手だ。
とにかく他人の目だけ意識して本を読む人が苦手なのだよね。
それは“他人軸”の読書。「見せ読書」は明らかに活字中毒者ではない証拠だよな? と思う。
ツイッターの読書垢なども、始めは楽しかったのだがそのうち苦手になりやめた。それは「見せ読書」をしている人が多いと気付いてしまったからだった。
中にはそうではなく真性の本好きもいたのだけど、
「読書しないでスマホ見てる奴は軽蔑する!」
などと激昂している人がいて退散した。
読書しない他人を責めている時点で中毒者ではないと思う。
自分が見せ読書しかしていないことの証。
専門家即バカというわけではない
くれぐれも自分の仕事分野の話しかできない「専門バカ」、周囲から広い教養がないことを笑われているが本人だけがそれを知らない「裸の王様」、そして自分の専門分野に閉じこもって空威張りする「オヤマの大将」になってはいけない。
特定分野に特化した知性ではなく、幅広い教養や人間としての品性を読書によって磨くことが、一流の政治家にとってもビジネスパーソンにとっても重要なのだ。
うーーん??
これはどうだろう。必ずしも「専門バカ」をバカにできないとは思うけどね。
私は、一つの分野に突出した専門家を激しく尊敬するけれども。
そもそも何かの分野に秀でていない人は、他の分野のことも理解できないはず。
どこかに軸足を持つからこそ他の場にも足を踏み出せるのでは?
専門の浅い自分故に言える。
だいたい、専門家がどれだけ深い知識を持っているか分かっているからこそ、他人の専門分野についての話は遠慮する。
だからこそ他所では無口になる。
それが分をわきまえるということでは。
ワイドショーに出て浅いコメントを述べているコメンテーターのようにはなりたくない。
問題は、「反社会的バカ」のほう
【2】自分の偏見を助長する「二流の読書」をしないこれは正しいでしょう。
なお、読書をしながら、視野がどんどん狭まっていくような「二流の読書」をしている人も少なくないので注意が必要だ。
読書で重要な要素のひとつは、視野・視点を広げることだ。これに対し、二流の人に限って、マニアックな特定分野の、自分の偏見を助長してくれる著者の本ばかり読みたがる。こういう「二流の読書」では、読書量が増えても、自分の視野を狭め、偏見を増長させるだけだ。
もちろん「各人が好きな本を読むのが基本」でいいわけだが、知性を磨いていくためには、自分の意見や価値観とは相いれないものも含めた「多様な情報源」を確保するのが不可欠といえるだろう。
その人たちは「専門バカ」でさえなくて、思想的な主義を強めるためだけにその思想の読書をしている。宗教信者が、その宗教団体の教義だけ読んでいる状態。
そんな偏った読書をしてバカになっている人を最近よく見かける。
新聞や新書しか読まない人に多い。
彼ら彼女らには理解力もないし、カルト宗教信者のような思考停止に突き進む。
最後に、「一流の読書」にとって最も大切なのは、「書かれたことの一部を読んで批判したり、自分の都合のいいように曲解したりしない」という「まともな知性・メディアリテラシー」を持つことだ。
世の中には、書いてあることを文字通り信じるどころか、そもそも全体を理解できず一部にだけ反応して、自分の都合のいいように解釈し、批判する二流の人は思いのほか多い。
そうそう。
「二流の人」ではなく、思考停止で理解力をなくしてしまい、単語だけに脊髄反射して攻撃するプログラムのポンコツロボットね。二流にも三流にも入らず、使い物にならない反社会的人物。
この記事は序列をつけていると言うよりも、「反社会的バカども」と言いたかったところを、かろうじて言葉を抑えているという感じだな……。