読書備忘録 “いつも傍に本があった。”

「読書家」たちの憂鬱1

(やや毒舌。要注意)

かつて「本好き」と自分で言っている女性と付き合いがあった。
本好きなら図書館という場所は絶対好きに違いないと考えて、休日に図書館デートへ誘った。

彼女があまり楽しそうではない様子であるのにしばらく気付かなかった。
本好き同士が図書館へ行けば必ず見られる行動、お互い好きな本棚のほうへ走りまくりマイペースに読書をし、それでいて同じスペースで過ごした充実感を味わうということにもならなかった。
なんか調子狂うなと思いつつ、何故かずっと一緒について来て本棚を眺めているだけの彼女へ、仕方がないのでいろいろと目に入る本の話などをして歩いていた。

その時、不意に彼女が顔を上げて真っ直ぐ私を睨みつけ
「そんなにたくさん本を読んでも偉くないよぉ?」
と言った。

ん。
何を言っているんだ彼女は。

人は自分の理解が及ばない言葉を投げつけられると頭が真っ白になるというのは事実だ。まるで知らない外国語を聴いたかのように音声が意味を結ばず通過した。
後から頭の中で言葉を再生してみて、ゆっくり意味を理解していった。

理解した瞬間、ぞぞぞと悪寒が走った。
なんだ対抗心というやつか? 急にライバル設定されたのか。

一部の女性の、親友だろうがテレビの中の美人タレントだろうが自分との比較は無視してライバル設定し、相手の持ち物は金でも美貌でも能力でもとにかく何でも許せず、「キィーッ、何よっ、自慢して。いけすかないっ。あいつよりアタシのが凄いんだから。アタシのが! アタシのが!」という言葉を始終口から放出している。いずれ相対的に自分の評価を上げるために相手の悪口を言い触らし始める。
そういう種類の人々が妄想するところの
「あれは自慢、これも自慢、他人の話は全て自慢」
という前提において私は批判され、ライバル(笑)として宣戦布告されたわけだ。

どうやらこの女性、今までずっと私が本の話をするたび“自慢”と受け取ってむかむか腹を立てていたらしい。図書館という本から逃げられない場所で聞きたくない話を聞かされ続けたので怒りが爆発してしまい、ついに嫌味を投げつけた。
「どうだ本当のことを言ってやった。傷付いたろ、反省しろ」
とドヤ顔で私のダメージを窺っていた彼女の顔が忘れられない。

その面倒臭い競争オンリーな性格問題について云々するより前にまず、私は彼女の読書というものに対する価値観に驚いた。
彼女は本の話をする人たちは皆、「自分を偉く見せかけるため」なのだと思い込んでいた。
ということは常々読書家をアピールしている彼女自身が、ずっと「他人から偉いと褒めてもらいたくて」本を読んできたのだということになる。

図書館デートがうまくいかないわけだ。同じ読書好きとして阿吽の呼吸で過ごすことなど永久に無理だ。

*

彼女が、本なんか少しも好きでもないのに本が好きという振りをしていた嘘つきだと決めつけるのではない。
思い起こせばミステリやライトノベルの話は実に楽しそうにしていたから、「本が好き」という自己申告は嘘ではなかったのだろう。
ただ根本的に読書という行為に対する価値観が私とは異なり過ぎていたと思う。

いつだか某作家がエッセイで、
「自分は小学生時代、友達に勝つためだけにあえて難しそうに思われる本を選んで読んでいた。」
というゲスな思い出話を書いているのに遭遇して私は引いていた。
(一方的にライバル設定されたその友人はさぞウザかったろう)
小学生時代の自分はバカだったという告白と反省ならまだ良いが、まるで他人を見下すために自分を本で装飾することが良いことのように得意気に語っている点、最も軽蔑した。本好きならあり得ないだろう。本好きには競争目的で本を読むという発想そのものがまずないし、そんな目的のために本を読むのは本に対して失礼だと思う。本への冒涜に当たる。だいたい作家なら書いた人の気持ちが分からないものだろうか? 
このエッセイの話を上の女性にしたところ、凄い勢いで嬉しそうに
「分かる分かる。私も全く同じことした!」 
と返された。
“あり得ないよなぁ、こんな作家”という同感を期待して話し始めたのだけど、その後の言葉は口に出せなくなってしまった。

何故このような価値観を持つ人たちが存在しているのだろうとずっと不思議に思っていたが、ある時、彼女自身から幼少期のエピソードを聞いて理解した。

彼女は幼い頃、本を読むたびに母親から「よしよし。偉い子ね」と頭を撫でて褒めてもらったという。

一冊読むと頭を撫でられ、「偉い偉い」と言われる。
そしてすぐさま次の本を差し出される。
母親に褒めてもらいたくて、その本をがんばって読む。
読めばまた「偉い偉い。いい子いい子」が待っている……。

こんな育ち方をすれば
「本を読むのは偉いこと」で
「みんなが褒められたくて本を読んでいる」
と思い込んでしまったのだとしても仕方ない。
私と彼女の話が合うことは絶望的になかったはずだ。
彼女にとっては「偉いと褒められたくて本を読む」のは当たり前のことであり、「自分を飾る装飾品として読書歴を得る」というのは正義なのだろう。そして他人が読書歴を披歴していたら、その行為は自分と同じく「自慢」なのであり、「他人を見下すため」以外にないと思い込むのも仕方がないわけだ。人を殺すのが正義と教育された国の人のように我々とは価値基準が違い過ぎると諦めなければならない。

悪いのはそんな育て方をした母親であって、彼女ではない。
彼女ではないのだけれども、大人になったら他の価値観もあることに気付いて欲しかった。
他人に自分だけの価値観を押し付けライバル心をぶつけ続けるのは迷惑千万。
言葉を尽くしても変わらない価値観が犯罪などの害を及ぼすようになってきたら、周りはそっと離れるしかないわけです。

*

この女性ほど極端ではなくても、多かれ少なかれ日本人は
「本を読んで偉いわね。いい子いい子」
という教育を受けて来たように思われる。

そのような人々が自称で「読書家」を名乗っていることは、往々にしてある。

周りばかり意識して、「本を読んでいる自分って偉いでしょ。でしょ」と言う人々は読書家であり続けることに大変な努力を費やし、苦しんでいる。
苦しいから他の人々の読書ジャンルを批判するなど邪魔して他の読書家の数を減らそうと努めているようだ。

そんなに苦しいなら、読書家と自称するのやめればいいじゃないですか。
と、いつも思いますがね。
「本を読むことは偉いことなんだ!」
という永久なる勘違いのもとに、読書家のステイタスにしがみついていたくてやめられないのでしょう。

自称「読書家」たちの憂鬱はこれからも続いて行く。

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